2014年09月18日

65歳の壁

 昨日、NHKで放映していた「65歳の壁」。
 実は我が家でも!

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 発端はこの松葉杖です。
 幼児期に股関節の手術をして以来、5センチ前後は短くなっている左足をかばいながら生きてすでに60年以上となる我が夫。中高年となる頃から、だんだんかばっている右の脚の痛みが生じ、左足の靴底を高くしたり、杖を使ったりする中で、福祉のお世話にもなってきました。

 しかしこの夏、山歩きで今までにない激痛に襲われ、松葉杖をレンタルしてみたところ、長い距離歩いたりするには、優れものであることを発見。
 障害者福祉課に、補装具として松葉杖の購入補助をしてもらえないのか相談したところ、「65歳以上は介護保険の対象となります」とのこと。
 そのためには介護保険の申請が必要になります。

 しかし、加齢による物忘れ等があることは否めないものの、脚の痛み以外には日常生活に不自由はありません。介護保険を申請しても、不認定となることは目に見えていますが、役所としては念のため認定審査を行う、ということになりました。

 報道にあったように、65歳以上は機械的に障害者福祉から介護保険へ、ということになったために、経済的な負担が一気に大きくなる人たちがたくさんいます。それだけでなく、介護度によっては、それまで受けられていたヘルパー派遣などの日常生活支援の時間が削減されるケースもあります。

 このような制度改正が行われたとき、お怒りの電話をたくさんいただきましたが、国が定めた制度であり、市が独自に65歳となってもそれまで障害者福祉制度の対象だった人はそのまま、というわけにもいかないのです。

 そもそも介護保険制度というのは、加齢によって日常生活を自力で送れなくなった方を対象とするものであって、生まれつきあるいは若い時期の障害によって介助や補助が必要な人までこの制度にひっくるめようというのは、非常に乱暴であると云わざるを得ません。

 これまで、様々な障害者団体から声があがっていますが、制度の再構築が求められています。

 ということで、制度になんか負けないぞ! 地域の中で暮らしを造っていくんだ! と意気軒昂に、「わらじの会」が年1回開催している大バザー、37年目の今年は10月12日(日)午前11時から、武里団地の中央にある近隣公園で開催されます。
 
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 事前の準備からお手伝いいただけると、このイベントならではの醍醐味も味わえます。もちろん、販売する物品の提供も大歓迎です。
 問い合わせ先は、地域活動支援センターパタパタ・電話は048-733-2743です。
posted by ふくろう at 15:54| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月07日

90年前の春日部の小中学生に脱帽

 市民活動を応援する会の皆さんが、毎月1回開催している「ウィークエンドブランチ」、26回目の今月は、元春日部市内の小・中学校の校長先生や死の教育部長を勤められた中根政美さんの「なにがあっても生き抜いて!」というお話を伺いました。

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 関東大震災のあった9月上旬は、さまざまな防災関連の催しがあります。
 中根さんは、関東大震災時、大きな被害を受けた粕壁地区の粕壁小学校の児童が綴った作文集が記録として残っていることを知り、郷土資料館に保存されているその資料に目を通して、90年前の小学生、高等小学校の生徒の作文に心打たれたとのこと。
 3年前の東日本大震災直後から定年まで粕壁小学校の校長をされたのも何かの巡り合わせと、退職金を割いて,この3月に読み解くのが可能だった作文の復刻版を編まれたのです。

 高学年の作文は筆で書かれています。しかも漢字は画数の多い旧字体です。当時の子どもたちのレベルの高さが伝わってくるとともに、大震災という災害にあって周りを労る子どもたちの感性にも心打たれます。
 
 この関東大震災の記録と、東日本大震災の様々なエピソードを通して、学校を去る前に中根さんが子どもたちに伝えた「命の授業」を、ぽぽらの会議室で再現してくださいました。

 「なにがあっても生き抜いて!」というのは、大きな災害にも負けず懸命に生き抜いている若い世代がいる一方で、自ら死を選ぶ子どもたち、他人を命を奪う子どもたちに心傷める中根さんからの、子どもたちへの心からのメッセージです。

 お話のあとの意見交換では、「どうしてこのように命を粗末にする子どもたちが育ってしまったのか」という教育談義になってしまいました。

 家庭だけでは、学校だけでも守れない子どもの命、伝わらない命の尊さ−。地域が一丸となって子どもたちを育てるまち春日部にしていかなければ、という思いが、参加した多くの人々の胸中にわき上がったように思います。

 「関東大震災と粕壁」写真展は、明日8日まで市民活動センター、交流スペースで。
 昨日参加者がいただいた「大震災記念文集」をお読みになりたい方は、運良く残部があれば手にすることができます。センターの受付で聞いてみてください。
 私の手元にも1冊ありますので、お貸しすることもできます。


posted by ふくろう at 10:19| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月02日

疑問の多いダム建設を考える

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 「埼玉県障害者市民ネットワーク」の総合県交渉にいった折、本庁舎から第3庁舎に向かう芝生にありました。
 「秩父3ダムの石」だそうです。今まで気がつきませんでした。

 滝沢ダム、浦山ダム、合角ダム建設時、237戸もの方々が数百年住み慣れた土地を離れなければならなかった、「私たちの生活に欠くことのできない貴重な水は、こうした水没関係者の方々の悲しみ、それを乗り越えられた深いご理解があって生み出されています。このことを深く胸に刻むため、それぞれのダムの湖底に沈んでしまうことになっていた三つの石をここに設置いたしました」
 との標記があります。

 最も大規模な滝沢ダムは、移転対象が112戸と最も規模が大きなダムだったため、1969年に計画が策定されたにも関わらず、移転交渉に時間を要し、ダムの本体工事着工は30年後の1999年となっています。
 これは、決して強権を発動せず、粘り強く交渉を続けた国や県の姿勢を評価すべきでしょうか。

 時は流れ、八ッ場ダムをはじめ、国内で建設計画が進められている多くのダムで、洪水時の基本高水の設定や過大な水需要予測などが問題点としてあげられ、貴重な自然環境を破壊し、そこに住む人の暮らしを奪ってまでダム建設の必要があるのかとして、反対運動が起こっています。

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 この絵はがきはその1つ、長崎県の川棚町に建設予定の石木ダムに異議申し立てをしている「こうばる地区」に住んでいる人が、運動の資金カンパのために製作しているポストカードです。「こうばるに生息する生きものたち」。
 ダムが建設されると水没するこうばる地区に住む人たちは、わずか13戸60人ほどといいます。しかしこんなに多種多様な生きものたちが生息し、日本の原風景といわれる棚田で稲を育てて暮らしている人たちの暮らしを根こそぎ奪ってまでつくらなければいけないダムなのか。

 詳しくは、「石木ダムを考えるーこうばるプロジェクト」のブログをお読みください。
 http://hozumix.blog32.fc2.com/
posted by ふくろう at 17:53| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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