呼びかけ人を代表しての福島みずほさんが挨拶。
開式前に、茨城のり子さんの「私が一番きれいだったとき」の詩に、吉岡しげ美さんが曲を付け、吉岡さん自身がピアノの弾き語りが流れ、そこに土井さんの詩の朗読とこの曲に対しての土井さんの思いが語られる肉声が流れていました。
「土井たか子を支える会」の集会だったでしょうか。「女性と政治スクール」の最終回だったでしょうか。私はこの場面を思い出していました。
このブログでも記しましたが、あれから20年近くの時が流れ、「山が動いた」ように思えたあの心震える政治の流れが、いつしか消え去ってしまったような現在の政治状況。
追悼の言葉で、佐信さんが語っていたのだったでしょうか。
土井さんが当時の社会党の初の女性党首となるころに与党から提案されていた「国家機密法」、そして当時の中曽根内閣から提案されていた「売上税」に対する国会での土井さんの舌鋒鋭い追及と反対。そして廃案に持ち込みました。当時と今の政治状況が酷似しているにも関わらず、土井さんはいない、と。
どなたの偲ぶ言葉も、心にずしりと感じるものでした。
最後となった落合恵子さん。土井さんがよく唱われていた「MY WAY」を探したのだけれど、男性歌手のものばかりであったと−。それで、と「明日へ架ける橋」を流しながら、自らの訳詞を朗読しました。
結びに、「女たちよ。帆をあげるときだ。 どうしようもなく、心が寒いときは、私があなたの行く手を照らす明かりになる」と。
それが土井さんが私たちに架けて下さった橋なのだと。だから私たちは、14日以降、また、明日のために立ち上がっていこうと。