2015年05月02日

自分の力の及ばなさに謙虚でありたい−原発事故

 木曜日は、福島原発告訴団の「東京検察審査会申し立て&激励行動に参加しました。申し立てについては、今年の1月に原子力保安院や東電の津波対策担当を告訴した「2015年告訴」について、わずか3か月足らずで東京地裁がまたも「全員不起訴処分」としたことに対して、東京検察審査会に不服申し立てをしたものです。
 また、検察審査会が「起訴相当」とした「2012年告訴」について東京地裁が再び「不起訴」としたことについても東京第5検察審査会が審査中ということもあり、再度「起訴相当」という判断を下してもらうことによって、強制起訴が行われるよう、激励行動を行ったものです。
 昨日は東電株主代表訴訟の裁判もあり、口頭弁論が行われました。
 その報告も兼ねて午後は参議院議員会館で「裁判報告・学習会」がありました。参議院議員会館の講堂はまたも、満員の参加者がつめかけました。

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 学習会では元国会事故調の委員も務められ、年2月21日、福島第一原発1号機の原子炉建屋4階内部に入られた田中三彦さんにお話を伺いました。実際に原子炉建屋に入ってみて、「水素爆発は、本当は東電が主張するように最初に5階でおこったのではなく、4階で起こったのではないか」と考えるようになったいきさつと、事故の真相究明は実際にはどのようなところにあるのか、お話し下さいました。4階から起こったのか、5階から起こったのかということは、原子炉の中でどのように水素が発生し、そういう風に水素が溜まって爆発に至ったのか、という原因の究明には不可欠であり、未だにそのことも不明なまま、ということは、福島第一原発のみに止まらず、他の沸騰型原子炉の事故対策にもつなかることだから、という田中さんのご指摘は最もなことです。
 つまり、未だに福島第一原発の事故は終わっていないし、今後どんな事態に見舞われるのかもまったく想像できないというのが現実なのです。
 さらに、汚染水の対策も定まらず、汚染された廃棄物や除染された土壌などの行き場もない状態で、通商産業省は何をもって、原発のコストは最も安いなどといけしゃあしゃあと国民に発表することができるのでしょうか。100歩ゆずって電力会社の言い分なら分からないでもありませんが、官庁がこのような試算を何の疑問ももたずに行うことは、またもや事故をなかったことにして自分たちのシナリオに沿った数字合わせをしていることに他ならないと思います。
 この国で、真摯に事故から学び、エネルギー政策を考える政治家、役所は一体どこにいるのだろうと、またまた怒りがこみ上げてきました。

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 写真は「東京検察審査会激励行動」のとき、見上げた空に広がっていた橡の木の新緑です。街路樹では珍しいと言われる花も咲いていました。

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 弁護団の武藤類さんのお話、海渡弁護士のお話、福島から避難されている方々のお話、聞きながら、福島の豊かな豊かな自然を根こそぎ破壊し、多くの人たちの命や健康を損ない、生業を破壊し、人と人との関係も分断してしまう、こんな事故を経験しても、未だに「原発のコストの方が安い」などと公言する人たちが信じられませんし、そんな人たちが政策決定する場にいるこの国のあり方が怖い、と思ってしまうのです。
 私に原発について考えるきっかけを作ってくださった、故高木仁三郎さんは、宇宙核化学の研究に携わっていらしたころ、南極の海で採取した海水から核実験由来の放射性物質を検出して、「人間の手でこんなに広範に海を汚してしまう核分裂は、人間には許されない技術だ」と恐ろしくなったというような意味のお話をされました。
 科学に真摯に向き合う人ほど、自分の力の及ばないことに対して謙虚であり、人間の手で作り出すことのできない自然や命に対して敬意を払うのだ、という思いは、その後ずっと、自分の生きる指針になっています。
 事故の原因も解明できず、事故後の重大な問題の後始末も何一つできていないのに(必死で作業に当たっている方々には心からの敬意を表したいと思いますが)、再稼働を考える方々はどのような気持ちなのか−。その心底を伺いたいものだと思ってしまいます。
posted by ふくろう at 11:02| 埼玉 ☔| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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