まず、午後は、「SEIJI を市民に取り戻そう」 と名付けられた「みずほと一緒に国会へ行こう in 埼玉」結成イベントに参加。呼びかけ人に旧知の人たちの名前がズラリ−。
福島みずほさんは、故土井たか子さんが呼びかけた「市民との絆」、そして女性議員を増やそうと開かれた「女性の政治スクール」以来のもう15年以上のおつきあいがあり、私が市議会議員となったきっかけとなった存在でもあります。
それ以上に、政治的な課題で開かれる集会や行動のほとんどでその姿を見かけ、お話を聞く、今の政治状況の中ではなくてはならない国会議員であることは確かです。
昨日のお話を聞いて、ますますそう思いましたが、さて、みずほさんが昨日話されていたように、「ちょっと変」から「何か変」、そして「すごーく変」と思いその「変」を変えて行くうねりをつくるためには、個々の国会議員の力量だけでなく、もっと変だと思う人を束ねていく政治勢力がなければならないのでは−、この政治情勢の中でいろんな人から聞く声です。
それをどうしていくか。
講演会が終わったあと、久しぶりに顔を合わせた昔からの仲間たちとそんなことを語り合いました。さて、衆議院の解散がなければ、最も近い国政選挙、参議院議員選挙まで1年となりました。
その後、ホームレス支援を中心にしながら種々の貧困問題に取り組んでい「ほっとプラス」主宰の講演会「生活困窮者支援の過去と未来」に参加しました。
記念講演は、「年越し派遣村」で知られるようになった「NPO法人自立生活サポートセンターもやい」の稲葉剛さんです。
稲葉さんの1枚目の写真は新宿駅西口地下の「ダンボール村」の光景です。稲葉さんがこの活動に携わるきっかけとなったのはこのダンボール村で、そこで、路上で人が死ぬ、という現実に直面して夜回りなどの活動をはじめたのがスタートだったというお話から、あの頃新宿駅でみたダンボール村の光景がくっきりと浮かんできました。
初期のころは、ドヤ街の人たちが仕事を失い、ドヤにも住めなくなって生まれたテント村、そこでは仕事にありついた人がその稼ぎで食糧を買って分け合ったという、支え合った生きているという現実があったそうです。
それが都庁の建設によって排除されるー。
そうして排除された人々は、場所を変えてダンボールやブルーシートで住まいをつくり、ホームレスと言われる人々がいろんな場所で目につくようになりました。
稲葉さんたちは、そんな状況の中から発言し続け、働きかけ続け、ホームレス支援法の制定に一役かったりしてきました。しかし、実情はどうでしょう。
続いて稲葉さんと対談したほっとプラスの藤田孝典さんが、社会福祉に関心をもったきっかけが、話しをしたホームレスの方が、実はそれまではサラリーマンをして、家庭をもっていたことを知り、衝撃を受けたことだったと聞いたように思います。
ダンボール村のときは比較的特殊な人たちの問題だった貧困、それがそれとは縁がないと思っていた人たちがある日突然、リストラなどで職を失い、さらに支えを失ってホームレスになり、現代は若い世代がホームレスになるというように、貧困・生きづらさは広がってきているのです。
藤田さんが最近取り上げることが多い、高齢者の貧困問題。近著の「下流老人」では「年収400万でも将来生活保護レベルの暮らしに?」というショッキングな指摘をしています。今や人ごとではない貧困。そういう時代をどう支え合って生きていくのか、藤田さんが言っていたように、「生活困窮者自立支援法」の元でさまざまな制度が整えられていったとしても、その制度の中で専門職が支援しようとする落とし穴によって、支えられない困窮者を生み出さないために、今まで、民間やボランティアの人たちの力で築き上げられてきた支援の中身からじっくり学んでいかなければ、と思いました。
それと同時に、こんなに「貧困層」を生み出す社会、そのものについても向き合っていかなければならないと思います。