2015年07月30日

ドキュメンタリー映画「疎開した40万冊の図書」の上映会を行います

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 あなたはご存知でしたか。戦時下日比谷図書館の本を守った人たちがいたことを。
 戦争末期の1944年から45年にかけて、日比谷図書館の蔵書の一部が、50km離れた奥多摩と埼玉県の志木市に疎開します。当時の中田館長は図書館の蔵書だけでなく、民間人が蒐集していた貴重な本も買い上げ疎開させました。リュックに詰めて背負い、あるいは大八車に乗せて運ぶ人手は図書館員だけでは到底たりず、当時の都立一中(現日比谷高校)生も動員されました。何回となく足を運んで疎開した図書が40万冊となった5月、日比谷図書館は焼夷弾によって全焼しました。
 自分の命を守るのが精一杯だった時代に、つらく苛酷な作業によって先人の文化や歴史を守ろうとした人たちの思いを、戦後70年の節目に当たる今年、多くの人たちと共有したいと、さまざまな市民活動の団体や個人が集まって「観る会」をつくり、上映の準備を進めています。
 できるだけ多くの方に観ていただきたいと思い、会場は春日部市八木崎にある中央公民館の講堂をお借りすることにしました。
 また、本を運んだ高校生たちと同じような若い世代にも観てほしいと、学生割引も設けております。
 関心のある方は是非、足をお運びください。

☆上映会
日 時:8月29日(土)1回目・14時~、12回目・19時~(いずれも会場は30分前)
ところ:春日部中央公民館講堂(東部アーバンパークライン八木崎駅下車徒歩1分)
主 催:「疎開した40万冊の図書」を観る会
協力券:大人1,000円、学生500円
取扱店:紅雲堂・後藤商店(八木崎駅前)・ハスミ(南桜井駅)・西武百貨店春日部店(5階ギフトサロン)、服部書店(武里)
連絡先:高橋(電話048-763-1517)、川島(携帯090-4955-4989)

 
posted by ふくろう at 15:12| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月19日

一人ひとりの命の重さをかみしめたい

 昨日は、第10回の「かすかべ平和フェスティバル」でした。

 午前中は、「生かされて79年」と題する仲田清一郎さんのお話がありました。

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 仲田さんは太平洋戦争の末期、沖縄から長崎に向かう途中、米軍の潜水艦が発射した魚雷によって沈没した集団疎開船・対馬丸の数少ない生存者のお一人です。当時8歳。
 淡々と話される仲田さんの言葉ですが、8歳の少年が真っ暗な海の中で、「母ちゃん!」、「先生!」泣き叫ぶ子どもたちの声を聞き、そしてその声が一人、またひとりと消えてしまう中で丸太につかまってただよっていた、その深い闇の中をどんな思いで過ごしたのだろうと、お話を聞きました。
 仲田さんの家は海運に関する事業をされていたようで、出航前に、千手観音にお詣りして無事を祈ってくださり、千手観音さんの手の平の上で生かされた、という思いがおありだったようです。
 それも含め「79年生かされてきた」という仲田さんのお話を、もっと聞きたいと思いました。
 
 今回の企画は急だったため、時間が足りなかったので、第2弾として、「対馬丸」に関する映像の視聴と共に再度仲田さんのお話を聞く会を設けたいとのことでした。

 午後は、市原悦子さんの朗読とお話の会でした。
 ユーモアにあふれ、声高ではない市原さんの、主に疎開された頃の子ども時代のお話、そのあとの童話の朗読は−。

 一つは野坂昭如さんの「戦争童話集」の中からの一編「凧になったお母さん」。もう一つは、あんまきみこさんの「ちいちゃんのかげおくり」
 二つとも童話です。フィクションといえばそうです。しかし、その中に凝縮された、「楽しいことも知らず、おいしいものをお腹いっぱい食べることもできず」奪われた幼い命。
 亡くなったかた何百万人というとほうもない人数の中にあった、一つひとつの命の重さに圧倒された思いの、今回の「平和フェスティバル」でした。

 昼休みの時間、ちょうど1時になったので、全国で、地元で「阿倍政治を許さない!」というカードを掲げてスタンディングしている仲間に思いをはせて、正風館前の道路で一人スタンディングをしました。
 通りかがりの方からうなずいての挨拶をいただいたり、握手していただいたり、「一緒にがんばろう」との激励をいただいたり。一人でも、一人から歩んで行かなければいけないと思いました。人間が人間でなくなる、戦争する国にしないために。
posted by ふくろう at 08:17| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月16日

心強い、若者たちの「自分たちの手で民主主義を取り戻す!」

 昨日は、皆から「戦争法案」と呼ばれている「安保法制」特別委員会の強行採決抗議集会に、昼の部から参加。「総がかり行動」の集会は18時半からなのですが、日中の行動は、参加できる人が限られているだろうからと思い、昼の部からの参加にしたものです。真夏日とされていましたが、幸いなことに、国会周辺は街路樹が多く、木陰に座っていると時折吹く風が心地よく、暑さをさほど感じずにすみます。
 仲間はまだ来ていないだろうと思ったところ、偶然、越谷の知人に会え、また、隣近所に座る見ず知らずの方とも話しがはずんで、昼の部の集会から座り込み、そして16時半からの夕方の集会と、時間が流れていきます。
 その間、帰る方もいたり、詰めかける人あり、徐々に参加者はふえていきます。強行採決のニュースが報道されると、これは黙っていられない、と駆け付ける方が多いという印象です。
 
 国会正門前は封鎖され、人っ子一人寄せ付けない警備ぶり。警察も今までよりも参加者が増えることをみこしてか、車道側に入念にバリケードを設置し始めました。

 夜の集会が始まる30分ほど前からは、続々と人が詰めかけ初め、すでに正門前の歩道は、新たに参加する人たちがすいているエリアに移動するのもスムーズにはいかなくなってきました。

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 集会が始まると、次々とスピーチする野党の党首に、周囲には「野党は一枚岩になって頑張れ」、「党派にこだわってる場合じゃない」とつっこむ人たちもいます。数を頼みにして強行採決する与党に対してだけでなく、多数の国民の思いが届かない国会に対するいらだちを感じます。もちろん、このような状況にしたのは有権者一人ひとりの選択、投票行動の結果であったことを、あらためてきちんと受け止めていかなければならないでしょう。
 「今日は終わりではない、今日がスタート」
 スピーチの中にもそんな呼びかけがありました。
 「民主主義が死んだ日」とする人もありましたが、私は若い人たちの「これから自分たちの手で民主主義を取り戻す」というに共感しました。

 国政選挙は私たちの手に届かないところにありそうな気がしますが、決して手の届かないままであってはならりません。次の国政選挙では有権者一人ひとりが当事者として関われるものにするためのうねりをつくっていかないと、日本は民主主義国家たりえないと思いながら、集会終了少し前に、霞ヶ関の駅の方向に移動していきました。

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 すでに参加者は2万人を超えていそうですが、霞ヶ関の国会前の信号でも、新たな参加者が続々と詰めかけています。国会議事堂前駅や永田町駅からもきっと、たくさんの人たちが詰めかけているのでしょう。
 国会前の歩道では、「車道を開放しろ」という声が次々に起こっていました。脱原発の第1回目の官邸前行動のように、バリケードを除いて車道に参加者が流れるようにしないと、ケガ人が出そう、と思っていたら、後半はそうなったようですね。
 10万人と言われる人々、そして、今日話した人たちのように、「来たくてもこれない人たちのためにも自分が」という人もたくさんいることを考えると、ここからなにかが始まる、と確信して7時半からの若者たち主宰の集会に心ひかれながら、駅に向かいました。




 
posted by ふくろう at 15:54| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月09日

学校の主人公はこどもたち、のはずなのに

 またもや、悲しい事件が起こってしまいました。
 岩手県の中学2年生が、いじめに苦しんで自殺の道を選んでしまったという事件について、さまざまなメディアがさまざまな報道をしています。
 このような重大な事件で、しかも人の命に関する問題で、さらに、詳しい事情を知らない私が何か発言することは、慎みたいと思っています。
 しかし、今回は、報道の中のさまざまなコメントに違和感を覚えたので、書き込むことにしました。

 いろんな方のコメントの中で、教育評論家の尾木直樹さんが、私の思いに近いと感じました。生活記録のやりとりに触れ、「この担任のコメントは、教師という立場からの上から目線」というような意味をおっしゃっていたことです。
 今、担任の先生が自責の念にかられているだろうことを思うと、追い打ちをかけるようなことをしてはいけないと思いつつ、個人の問題だけでなく、今の学校現場のひずみがこの事件の奥底に潜んでいるような気がしてならないのです。

 学校というのは、一方的に教師から教わる場、だけでなく、子ども同士が育ち合う場でもあるはずです。いじめの問題が起こったとき、なぜそんなことになるのか、徹底的にいじめる側の子どもたちの思いや胸の内を聞く姿勢はあったのでしょうか。いじめている子たちに対して、「してはいけないこと」と反省を求める、いわゆる指導だけが行われていることがままあるのではないでしょうか。その場合、いじめは止まないばかりか、先生や大人の目を盗んで陰湿になったり、学校の場を離れて行われたりするのではないでしょうか。
 先生という立場の上から目線で指導するのではなく、子どもの隣る人≠ニして思いや心の叫びを聞き取る姿勢をもっていれば−、と思わずにはいられません。

 今回の事件で自らの命を断った生徒の傷ましさはいうまでもありませんが、この学校の対応で多くの子どもたちが、自分たちが友人の命を奪ってしまったという取り返しのつかない悔いを抱えることになってしまったこともまた、あまりにも無残です。

 学校という場が、本当に子どもたちが健やかに育っていく場であるために何が求められているのか、真剣に考える必要がありはしないでしょうか。
posted by ふくろう at 16:53| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月05日

改めて30年の時間を噛みしめてー車椅子に乗って独り暮らし30年・野島さんのお話

 昨日は、春日部まちづくり応援団が毎月一回開いているウィークエンドブランチに参加しました。
 今回のゲストは、わらじの会の仲間、野島久美子さんです。

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 1歳のときのケガで障害を負った野島さんは、養護学校卒業後、自立のために中伊豆の施設に入ったものの、毎日富士山を眺める暮らしがいやになって一度自宅に戻りました。しかし、電動車椅子が手に入るまでの3年あまりは自宅に閉じこもる暮らし−。
 やっと車椅子で外出できるようになったものの、家庭の事情でご両親が自宅を手放すことになり、施設への入居を強要され、着の身着のままで家出してわらじの会へ。27歳のときのことです。

 以来、日常生活の大部分で介助の手を借りながら、独り暮らしをしています。

 改めてその30年間の歴史をたどるお話を聞きながら、時間の重みを感じていました。

 野島さんの独り暮らしからほどなく、重度の障害をもつ人たちが親元を離れて暮らすための生活ホームができ、その人たちの暮らしを支えるために、まだまだ制度がほとんど無かったため有料の介助システムを立ち上げました。現在そのシステムに加わっているメンバーは220人ほど。国の障害者支援制度はめまぐるしく変わり、それでも国の制度だけでは24時間介助が必要な人の暮らしを支えていくことはできません。
 資格・年齢を問わず、自分ができることを、障害を持つ人の求めに応じて支援していく自前のシステムは、同時に地域の人々のつながりを紡いでいく場ともなっています。

 だれかが行動し、声をあげ、それに共鳴する人たちがいて、地域ができていく、その中で私も支えられて生きてきたことを再認識しました。
 お話の後、「それでもやっぱり障害を持つ人とどう接していいか分からない」という率直な感想を聞きました。つき合ったことがない人にとっては、そう思うのは本当だと思うのです。でも、近くにいる障害を持つ人とつき合ってみると、そんなことは杞憂だったと、きっと思うのではないでしょうか。
 そして、ちょっと日常生活のテンポがちがう障害を持つ人との時間の中で、いつもとは違うゆったりした時間の流れを味わうことができるような気がしています。
posted by ふくろう at 19:27| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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