午前中は、「生かされて79年」と題する仲田清一郎さんのお話がありました。
仲田さんは太平洋戦争の末期、沖縄から長崎に向かう途中、米軍の潜水艦が発射した魚雷によって沈没した集団疎開船・対馬丸の数少ない生存者のお一人です。当時8歳。
淡々と話される仲田さんの言葉ですが、8歳の少年が真っ暗な海の中で、「母ちゃん!」、「先生!」泣き叫ぶ子どもたちの声を聞き、そしてその声が一人、またひとりと消えてしまう中で丸太につかまってただよっていた、その深い闇の中をどんな思いで過ごしたのだろうと、お話を聞きました。
仲田さんの家は海運に関する事業をされていたようで、出航前に、千手観音にお詣りして無事を祈ってくださり、千手観音さんの手の平の上で生かされた、という思いがおありだったようです。
それも含め「79年生かされてきた」という仲田さんのお話を、もっと聞きたいと思いました。
今回の企画は急だったため、時間が足りなかったので、第2弾として、「対馬丸」に関する映像の視聴と共に再度仲田さんのお話を聞く会を設けたいとのことでした。
午後は、市原悦子さんの朗読とお話の会でした。
ユーモアにあふれ、声高ではない市原さんの、主に疎開された頃の子ども時代のお話、そのあとの童話の朗読は−。
一つは野坂昭如さんの「戦争童話集」の中からの一編「凧になったお母さん」。もう一つは、あんまきみこさんの「ちいちゃんのかげおくり」
二つとも童話です。フィクションといえばそうです。しかし、その中に凝縮された、「楽しいことも知らず、おいしいものをお腹いっぱい食べることもできず」奪われた幼い命。
亡くなったかた何百万人というとほうもない人数の中にあった、一つひとつの命の重さに圧倒された思いの、今回の「平和フェスティバル」でした。
昼休みの時間、ちょうど1時になったので、全国で、地元で「阿倍政治を許さない!」というカードを掲げてスタンディングしている仲間に思いをはせて、正風館前の道路で一人スタンディングをしました。
通りかがりの方からうなずいての挨拶をいただいたり、握手していただいたり、「一緒にがんばろう」との激励をいただいたり。一人でも、一人から歩んで行かなければいけないと思いました。人間が人間でなくなる、戦争する国にしないために。