2015年09月15日

4万人以上の人波の中で考えたこと

 昨夜の国会前行動。
 いつものように、一駅前の霞ヶ関から国会前に向かいました。

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 国会前交差点は、6時前だというのに異常な光景が広がっていました。歩道の脇にはびっしりと機動隊員が並び、信号が青に変わって少したつと「渡った先にたくさんの人がいて危ないので、渡らないでください」と信号を渡る人を規制しています。国会前の道路の歩道は、すでにたくさんの人で埋まっているようです。
 ようやく信号を越えて、人の波に加わって少しずつ正門前に進むと、歩道の脇には8月30日とは比べものにならないほど頑丈なバリケードが、ロープでしっかりくくられて並んでいます。これ以上人が増えたら危険、それ故の横断規制なのでしょうか。だったらバリケードを撤去すればいいだけのことのように思います。
 自分たちのこれからを左右する重要な法律が強行採決されるかも知れない、という危機感で異議申し立てを行うために来ている人たちの行動の自由をなんの権利で縛るのか。公共のために、というけれど、参加者から口々に、「もう車はほとんど通っていないじゃないか」、「バリケードを開けろ」と抗議の声が飛び交います。6時半の集会がはじまるころには、車道の両側にびっしりと装甲車が並びはじめました。
 「なんのために、誰を守ろうとしているの?」目の前の機動隊員の方々に聞いても、もちろんノーコメントです。「危ないですから押さないで」を繰り返すばかりですが、人がたくさん集まって飽和状態になったら押されるのは当然です。

 朝のニュースの一場面が頭をよぎります。ヨーロッパで、難民受け容れの拡大に対して賛否各々を表明する人々のデモの列は、車道いっぱいに広がって動いていました。なぜ日本ではデモの動きを規制しようとするのか。

 やがて、危険を感じた人々の手によってバリケードは横倒しになり、どっと車道に人々が流れていきました。止めるのはかえって危ないと判断したのでしょうか。拘束された人が1人もいなかったのは(今のところその情報は流れていません)幸いでした。

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 たくさんののぼりやプラカード、そしてペンライトなどの光の輪と、思い思いのシュプレヒコールが交錯する向こうに聳える国会議事堂の中では、有権者1人ひとりの投票によって選ばれた「私たちの代表」とされる人たちは、どんな思いでこの法案の審議に当たっていることでしょう。
 昨日の特別委員会の審議を見ていて、なんともやりきれない思いがしました。
 大野議員のPKO法改正案に対する質疑については、防衛大臣も外務大臣もまともに正面から受け止めた答弁をすることはありませんでした。「何のために法律改訂が必要なのか」それすらまともに説明できない法案を、なぜ提案するのでしょう。
 それにもまして驚いたのは、「米軍等の武器等の防護」についての運用については、法律が成立した後に決めるという答弁が飛び出したこと。法律さえ通してくれれば、あとはこちらが総合的な判断で運用するからね、とうのでは、なんのための国会審議なのでしょう。
 与党の国会議員の皆さんも、立法の府である国会の議員という自らの存在意義がこれほど軽んじられいることを、しっかり受け止めてほしいものです。

 「誰が議員になっても同じ」という有権者の気持ちには根強いものがあります。本来であれば立法府が法律をつくり、行政はそれを忠実に執行する立場であるはずなのに、いつまでも政府・内閣が物事を決めるために議会はそれを追認する存在に成り下がっている、これは地方議会に身をおいた者として、信じられない現実であり、突き崩せない壁でもありました。

 だからこそ、この法案の行方の先に、私たちは本来の「主権在民」という民主主義の基本を実現していくための戦いの必要性をみつめて行動しつづけなければならない、切実に感じた夜でした。

posted by ふくろう at 13:55| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月13日

「いのち」について向き合った時間ー市民福祉講座「いのちの選別ー出生前診断」

 昨日は、わらじの会主催の「いのちの選別−出生前診断」というテーマの市民福祉講座に参加しました。
 問題提起としてお話くださったのは、「NPO法人自立生活センターくれぱす」の見形信子さんです。見形さんは「神経筋疾患ネットワーク」として、出生前診断に異議申し立てをしています。

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 2013年から行われるようになった「出生前診断」は、妊娠中のお母さんの血液検査を行って、胎児の障害につながる率の高い染色体異常を調べる診断です。この検査で陽性反応が出た場合は、さらに羊水検査を行います。その結果障害があると判定された人の8割ほどが、妊娠中絶しているという調査結果もあります。

 運動神経や運動神経と筋肉のつなぎ目、あるいは筋肉細胞のいずれかの障害によって起こる神経筋疾患によって筋力の低下や筋肉がやせるなど症状が起こり、四肢が動かせなくなった見形さんは、小学校の4年生までは週2回、学校の先生が自宅に出向く訪問教育を受けていたとのことで、勉強時間はわずかに週4時間だけだったとのこと。小学校5年生で養護学校に通うようになって初めて、友だちができた、とのことです。
 その後、成長して自宅介護がむずかしくなったため、高校時代は国立療養所に入院しながら、併設されている養護学校で学びました。しかし、卒業に当たっての進路指導などなく、引き続き有効な薬もないままの入院生活を送ったとのこと。1980年代です。

 そして28歳で、当時盛んになった障害者の自立生活運動の仲間と知り合い、自分自身も自立生活を選択して今に至っています。

 障害ゆえに、障害を持たない(もしくは軽い)同年代の人たちが過ごしている環境から切り分けられてきた見形さんだからこそ、今、命の続く限り生き続けたいし、その権利を認めて、と訴えます。同じように、障害があって生まれてくる命は認められないのか、と突きつけます。

 1970年の心身障害者対策基本法の中で、先天異常を防ぐことが盛り込まれて以来、「不幸な子どもを産まない」という流れは連綿と続いているように思います。
 そして障害の有無で命を選別することは、次第次第に人間の存在そのものを選別することに繋がっていっているように思います。その人そのものを受け止めるのではなく、社会の用に立つか立たないか、使える存在かどうか、といった価値基準で人を見る傾向がありはしないでしょうか。
 
 しかし、少なくとも私の育った時代は、「子は神様からの授かりもの」、「子は神様からの預かりもの」と言われていたように思います。人間の手で作り出すことのできない命だからこそ、受取り、育てていくのが人間なのではないか、と思います。

 こんな出生前診断などを行っている一方で、健康や命に関わる食品添加物や農薬、あるいは薬害を引き起こす医薬品の問題、そして3,11以降の放射能汚染の問題、それについて真剣に取り組んでいる政策を見いだすことは困難です。

 長男を妊娠中のことでした。豆腐など添加物されているAF2が染色体異常を起こすことが分かりました。それを突き止めた、人類遺伝学の故外村彰先生を取材させていただく機会を得ました。そのとき外村先生のおっしゃっていたことが、その後ずっと私の指針になっています。
 「染色体に修復できない傷がついてしまったら、それは確実に次の世代に引き継がれる」
 「日本が体内にこれだけたくさんの科学物質を、飲食物として取り込む時代は、戦後のつい最近のこと。これは壮大な人体実験ともいうべきで、これからの世代にどんな障害などが起こるか予想もつかないのではないか」

 人間が自分の手で作り出したもので生命や健康を脅かすことは、作り出すことをやめること、あるいは食品や薬として体内に取り込まないことでやめることができるはずです。しかし、経済性優先の流れの中で、立ち止まって考えることなしにきてしまったことが、今に至っているのでは、そんなことを考えながら、命について向き合った時間でした。
posted by ふくろう at 18:18| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月11日

備えあれば憂いなしというけれどー

 一昨日からの大雨、昨日の未明からは屋根に叩きつける雨音で目が覚めて、眠れぬままぼんやりとテレビをつけて情報を見ていました。
 「大変なことになりそう!」

 50年に一度ともいわれる豪雨は、それこそ大変な被害を巻き起こしています。被害に遭われた方々には心からお悔やみ申し上げるとともに、今なお北上して大雨を降らし続けている「線状降水帯」による新たな被害が起こらないよう、祈るばかりです。

 昨日は、朝、団地に住むYさんの介助に行くことになっていました。一昨日の夜、いつも通る道の状況はどうか、見てみました。もう安之堀川はあふれんばかりになっていて、その上の夜半からの雨では、冠水しているだろうと思ったところ、未明にあふれたようです。

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 これでは自転車で通るのはむずかしいので、団地の中を通って行くことにしました。
 ところが−。

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 保育所と近隣公園の間の道路は、このように完全に川状態です。タイヤが側溝などにとられるのが怖いので、自転車を降りて押して歩きました。そうだった、長男がまだ幼かったとき、保育所帰りに長男を乗せてこうして押して歩いたことがあったっけ、と思いだしながらですから、40年ぶりのことでしょうか。
 団地のあちこちも、川になった道路や沼? と思う光景が広がっています。

 Yさん宅にたどりついたものの、これではYさんが車椅子移動で、今日の活動場所まで行くことはできません。ところが、天候の悪いときには車での送迎を頼むくらしセンターは、通所者も職員もセンターまで来れないため休みとなったとのこと。
 Yさんの日中介助を確保しなければ−。幸いなことに泊まりに入っていたのが元法人職員のNさんだったので、ふたりで片っ端から歩いてこれる範囲の介助スタッフに連絡をとりました。昼間で私が延長し、午後から介助に入ってくれる人を確保して、一件落着となりました。
 24時間介助が必要なYさんは、年に数回、介助に関わっている人が集まって交流会を行い、情報交換しています。こういういざというときには、やっぱり顔の見える関係ができていることが頼みになると実感しました。

 帰りは、結局、安之堀川沿いを通っても状況は変わらないと思って向かったところ−。

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 安之堀が合流する新方川は、もう堤防の縁すれすれ、というほどの水位です。これ以上、上流からの水かさが増さないといいのですが。

 というわけで、被害はなかったわが家ですが、テレビや新聞で、せんげん台駅前の冠水と電車の運行中止が報道されたせいか、「大丈夫なの?」安否確認の電話やメールが続きました。せんげん台付近の水は昨日の夕方には引いたようですが、新方川の下流では川があふれて浸水被害が起こっているようです。
 今朝も時折ヘリコプターが飛んできて、上空から状況確認をしているのでしょうか。

 水浸しになった街を歩いていると、ちょっとした高低差が水の流れをつくっていることが分かります。特に、マンションなどの玄関前のスロープや階段から途切れることなく流れ落ち、側溝で受け止めきれず道路に落ち、その道路から広い道路に流れこんでその側溝も受け止めきれない、という光景をあちこちで見ました。
 防災というけれど、こうした都市部の内水の現状を加味した、まちづくりも考えていかなければ、と思いました。


posted by ふくろう at 14:47| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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