問題提起としてお話くださったのは、「NPO法人自立生活センターくれぱす」の見形信子さんです。見形さんは「神経筋疾患ネットワーク」として、出生前診断に異議申し立てをしています。
2013年から行われるようになった「出生前診断」は、妊娠中のお母さんの血液検査を行って、胎児の障害につながる率の高い染色体異常を調べる診断です。この検査で陽性反応が出た場合は、さらに羊水検査を行います。その結果障害があると判定された人の8割ほどが、妊娠中絶しているという調査結果もあります。
運動神経や運動神経と筋肉のつなぎ目、あるいは筋肉細胞のいずれかの障害によって起こる神経筋疾患によって筋力の低下や筋肉がやせるなど症状が起こり、四肢が動かせなくなった見形さんは、小学校の4年生までは週2回、学校の先生が自宅に出向く訪問教育を受けていたとのことで、勉強時間はわずかに週4時間だけだったとのこと。小学校5年生で養護学校に通うようになって初めて、友だちができた、とのことです。
その後、成長して自宅介護がむずかしくなったため、高校時代は国立療養所に入院しながら、併設されている養護学校で学びました。しかし、卒業に当たっての進路指導などなく、引き続き有効な薬もないままの入院生活を送ったとのこと。1980年代です。
そして28歳で、当時盛んになった障害者の自立生活運動の仲間と知り合い、自分自身も自立生活を選択して今に至っています。
障害ゆえに、障害を持たない(もしくは軽い)同年代の人たちが過ごしている環境から切り分けられてきた見形さんだからこそ、今、命の続く限り生き続けたいし、その権利を認めて、と訴えます。同じように、障害があって生まれてくる命は認められないのか、と突きつけます。
1970年の心身障害者対策基本法の中で、先天異常を防ぐことが盛り込まれて以来、「不幸な子どもを産まない」という流れは連綿と続いているように思います。
そして障害の有無で命を選別することは、次第次第に人間の存在そのものを選別することに繋がっていっているように思います。その人そのものを受け止めるのではなく、社会の用に立つか立たないか、使える存在かどうか、といった価値基準で人を見る傾向がありはしないでしょうか。
しかし、少なくとも私の育った時代は、「子は神様からの授かりもの」、「子は神様からの預かりもの」と言われていたように思います。人間の手で作り出すことのできない命だからこそ、受取り、育てていくのが人間なのではないか、と思います。
こんな出生前診断などを行っている一方で、健康や命に関わる食品添加物や農薬、あるいは薬害を引き起こす医薬品の問題、そして3,11以降の放射能汚染の問題、それについて真剣に取り組んでいる政策を見いだすことは困難です。
長男を妊娠中のことでした。豆腐など添加物されているAF2が染色体異常を起こすことが分かりました。それを突き止めた、人類遺伝学の故外村彰先生を取材させていただく機会を得ました。そのとき外村先生のおっしゃっていたことが、その後ずっと私の指針になっています。
「染色体に修復できない傷がついてしまったら、それは確実に次の世代に引き継がれる」
「日本が体内にこれだけたくさんの科学物質を、飲食物として取り込む時代は、戦後のつい最近のこと。これは壮大な人体実験ともいうべきで、これからの世代にどんな障害などが起こるか予想もつかないのではないか」
人間が自分の手で作り出したもので生命や健康を脅かすことは、作り出すことをやめること、あるいは食品や薬として体内に取り込まないことでやめることができるはずです。しかし、経済性優先の流れの中で、立ち止まって考えることなしにきてしまったことが、今に至っているのでは、そんなことを考えながら、命について向き合った時間でした。