会場となった参議院議員会館の講堂にh、椅子を出しても出しても座りきれないほどの参加者が、最終的には400人ほどの方が参加されたとのことです。
基調講演の皮切りは、飯舘村で酪農を営まれていた長谷川健一さんのお話でした。
事故直後、スピーディーのデータが分かっていたにも関わらず、村当局には伝わらず、避難指示が出ないまま、初期の段階で無用な被曝を受けてしまった怒り。
そして除染が進むにつれて生み出されるおびただしい汚染物質の詰まった袋が、手塩にかけて耕作してきた田んぼに「中間貯蔵施設ができるまで」として積まれていく現状。仮仮置き場とされながら、一向に中間貯蔵施設は整備されず、「飯舘村はまた裏切られた」という思い。
その除染も、瓦屋根を一枚一枚ペーパータオルで拭く、ビニールハウスを同じくペーパータオルで拭く、というなど首を傾げるような作業で、敷地内は除染が行われても、周囲の山林は行わないという状況の中で、未だに高い放射線量にも関わらず、避難解除されようとしていることに対する怒り。
何兆円ともされる復興予算は、一体どこに、何のために使われているのでしょう。
もう一方の福島から転々と避難を続け、今は京都府で避難生活を送っている宇野朗子さんは、原発事故後に「原発事故子ども被災者支援法」が超党派で成立したにも関わらず、従来の災害救助法に従って、来年の3月で避難している住宅の家賃補助が打ち切られることの理不尽を訴えました。
事故が起きたのは一体誰の責任なのか、決して避難している人たちの責任ではないにも関わらず、故郷を奪われ、精神的にも苦しい生活を余儀なくなれている避難者に思いを致す政治が、なぜおこなわれないのでしょう。
その後も、子どもたちの健康被害に関してとられているチェルノブイリと日本の対策の違いなど、考えさせられる講演が続きました。
「二度と自分たちと同じ思いをする人を出さないでほしいからー」と発言を続け、裁判で訴える被災者の方々と、これからも連携していかなければ、と思いを強くしました。
この現状を正視せずに再稼働を決定している政府に抗議したくて、集会後の国会周辺で行われた脱原発行動では、官邸前に参加しました。
なのに、阿倍首相は、昨日の追悼式典では「教訓を風化させない」と語ったとのこと。つまりは、首相にとって福島第一原発事故は、教訓にはなっていないということなのでしょうか。