きっと、全国的に、今日からお盆休み明けで、電車のラッシュや交通ラッシュが復活していることでしょう。
といっても、私はお盆休みなし。
うちは夫の父が次男坊で、ご先祖のお墓もなく、仏様もなく…。実家は神道だし、先月父の5年祭を終えたばかり。
子どもたちが小さかった頃のように、夏休みの旅行や帰省の必要もなく…。
ただひたすら、「風のたより」の配布と、気分転換の家の片づけ・台所編にいそしんでおりました。 この時期、本来であれば、原爆忌〜終戦記念日をはさんで、さまざまな平和を考える催し物があり、結構忙しいスケジュールになるのですが、今年は自重。
小泉首相の「終戦記念日・靖国参拝」を巡る、様々な報道や、メーリングリストを飛び交う情報を目にし、じっと考えていました。
自分の思想や感情で様々な思いを口にする人たちが多かった中で、次のようなコメントが印象に残りました。
・これを機会に、「靖国問題」を徹底的に議論すべき(確かに、靖国の誕生からの経緯を踏まえない発言の多さが目につきます)
・なぜ、戦後61年たっても、靖国が歴史の問題ではなく、政治問題として語られるのか(ドイツの戦後処理と日本の処理のちがいはどこから?)。
何より心に響いたのは、聖路加国際病院の日比野医師が、医学生時代、731部隊の石井隊長の下で実験に関わった体験を話された時のこと。
「ガンジーが言うように、いい戦争もなければ、悪い平和もないのです」
日比野医師が、このような地獄を見てきたことを、知りませんでした。もっともっと、多くの方に語っていただきたいと思いました。
戦後61年たち、太平洋戦争の体験者が、どんどん少数になっていく今、NHKのある番組で、口角泡を飛ばす勢いで「国の守り」を語っていた若者たちに、「では、自分が戦争に行く可能性があると思う人は?」と問いかけがなされたとき、ほとんど手が上がらなかった場面が印象的でした。
国の守りや平和について考えるとき、実は、自分が実際にその場に立つとしたらどうか、ということを抜きにして、天下国家の高見からだけ考えることの怖さをもっともっと、考えて行かなければならないでしょう。
私は、東京都の石原知事の考えや発言には、多くの場合違和感を覚えるのですが、靖国問題について、「戦死者というけれど、実際に戦闘で死んだ軍人は三分の一、三分の二は餓死したんだ」と言ったのには賛同できました。
国の守りのために命をなげうった英霊とされていますが、実は、国家の指導者の自国の力量や世界情勢分析の誤りで、あたら命を落としてしまった方々の多さ、その命の重さ、さらに空襲や原爆投下でなくなられた方々、苦しまれている方々も含め、その存在を抜きにして、戦争を考えることは危険だと、それだけははっきり心に刻みました。



