9月19日、明治公園に6万人もの人々が集まった「さよなら原発」の集会で、武藤類子さんが語り始めたとき、集まったすべての人たちの心をつかみ、言葉が続くほどに心を打たれ、やがてそのメッセージはメール上で行き交い、多くの人々に届いたのです。
武藤さんは、「みどり福島」の仲間と共に活動している方ですが、一度もお目にかかったことがないので、どのような方なのか触れたくて、会場に足を運んだのです。
前半は、3.11の原発事故以降、福島で起こったことをご自身の状況や周りの方々の状況を踏まえてのお話でした。
後半の、チェルノブイリの事故以降取り組んできた反原発のこと、そして原発で発電した電気を使う生活はやめたいと、山の斜面を切り開いてつくった自宅と里山喫茶「燦(きらら)」の暮らしで納得がいきました。
ランプと薪ストーブと太陽光温水器やソーラークッカーなどを駆使したシンプルな暮らしがいかに充実したものであったのか、思索を深めていったのかー。
ソーラークッカーです。
このような暮らしは原発の事故によって奪われました。三春町の「燦」は、幸い暮らし続けることはできても、彼女の生活を支えていた山里の恵みは、ほとんど利用できなくなったのです。
武藤さんは、暮らしを奪われたばかりでなく、避難の先で命を落とした人や動物たち、そしてもしかしたら津波で逃げ残ったものの救助の手が届かずに亡くなってしまった人たちに変わって、メッセージを届け続けています。
そのメッセージが一冊の本になりました。
「福島からあなたへ」
大月書店、1260円です。
武藤さんのメッセージに共感した、震災後福島の記録を撮り続けている森住卓さんの写真が添えられています。
菜の花は、出荷できなくなった小松菜なのでしょうか。
帰りに、チェルノブイリの写真を撮り続けている中筋純さんの写真展を見ました。
事故後26年たったチェルノブイリ。原発で働く人たちのための住宅団地は、うっそうとした樹木に囲まれていました。一見、緑豊かな光景ですが、そこには人っこ一人いないのです。
診療所の中に、風で飛んだのか、鳥が運んだのか、一本の木が芽吹いて伸びていました。
チェルノブイリ原発の爆発した原子炉は、最初の石棺が風雨で壊れてきたため、現在新しい覆いをつくっているところだそうです。
そして完全に廃炉になるまで、あと100年はかかるかも知れないとのことでした。
故郷を離れた人、とどまり続ける人、福島の人たちのこれからを、もっともっと支援し続けなければ、と思います。
そして武藤さんが語ったように、コンセントに差し込むだけで得られる便利で「豊か」と思わされてきた暮らしをもう一度見つめ直し、これ以上何かの、誰かの犠牲の上に成り立つ便利さを否定する暮らしを選択していかなければ、と思っています。