昔々、青春時代の一時期、京都のはずれに暮らしていたころは、休日となると京都の街中をそぞろ歩いたものでした。
その後、京都を訪れる機会があると、時間を見つけては同じようにそぞろ歩きを楽しみ、そのたびに変わっていく京都の街並みに少しがっかりしながら、「町屋再生」の取組みなどに関心も持っていました。
最初に,四条町にある矢尾定さんという料理屋さんに伺いました。ここは、再生された町屋の一つであり、祇園祭りの大船鉾の囃子方の練習場にもなっています。
大船鉾は850年の歴史を持つ四条の鉾町で、応仁の乱以前からの歴史を持ち、幕末まで祇園祭の後祭りのしんがりを巡行した由緒ある鉾とのこと。
しかし、幕末の1864年の蛤御門の変によって、舟形の木組や車輪等の構造部分を消失してしまいました。
大船鉾保存会の松居米三さんのお話では、その後、明治期から鉾の復興の思いはあったのですが、明治2年、明治政府が町組みの改編と町組み毎に小学校を設置する方針を打ち出し、鉾町でも明倫小学校を設置して運営することになりました。
この小学校は古くから番組と呼ばれていた町組会所も併設され、いわば16世紀から道路をはさんで形成された町組みという自治組織の中心ともなっていたとのこと。
当時は、生徒310人に対して先生を4人雇い、朝6時から夕方4時まで授業を受けるという形態だったとか。
ところが、明治8年に移転するに当たり、それまでの運営費を精算しようとしたところ、多額の借金が残ることが分かり、町家(ちょうや)とよばれる町組みが所有する建物を土地毎売りはらっても残った借金を、当時310軒あった町組の各家から寄進を募って返済したとのことです。
その寄進の割り当てが、「かまど」の数と、間口と奥行きの広さ・長さに応じて、というところが長い間育まれてきた自治組織らしいと納得でした。
そうこうしているうちになかなか山鉾再興とはいかず、わずかにのころ文化元年作とされる化粧品のみの祇園祭の参加、という状態が続きました。
何とかして山鉾の再興を、と多くの方の協力で「祇園祭大船鉾友の会」を発足させ、寄附を募ったところ何とか8千万円以上が集まり、消失してから150年の節目となる来年の祇園祭りには、大船鉾の巡行が実現する運びになったとのことです。
矢尾定さんの床の間に飾られた「大船鉾」の模型です。来年の夏は、見事に後祭のしんがりをつとめる大船鉾の姿を見ることができるでしょう。
次に再生された「釜座町町家(ちょうや)」を訪れました。
ここは「京町屋再生研究会」の本拠地となっています。
京町屋はニューヨークの「世界危機遺産支援財団」に登録され、その価値と危機的状況が国際的に認められたことから、平成22年にその助成を受け、釜座町で今まで積み立ててきた蓄えを併せて、再生されたばかりの町屋です。
夏のしつらえの2階。昔ながらの帳場にパソコンが置かれているのが、いかにも再生、です。
狭い敷地を有効活用するために、瓦屋根は重なりあっていますが、雨が降ったときにうまく雨水が流れるように工夫されているとのことです。
この町屋はまた作事組という伝統工法を受け継ぐための団体の、全国協議会の事務局にもなっています。まちなみや景観保全のためには、こうした伝承が不可欠だからです。
釜座の方がおっしゃっていました。「京の町屋は、そのまま住み、商いをする、活かして使い続けることを守り続けている」と。
露地に面した町屋には、小商いの店が並びます。
袋小路の長屋に住む人々も、風情のある佇まいを守っているようです。
大規模な町屋杉本家。
大通りに面した町屋では、さまざまな大学が「町屋キャンパス」を設けて、イベントを催しているとのこと。
「百足町まちづくり宣言」。「山鉾の先端を越えない中低層の建物を」、との一文に納得です。
どの町屋の庇にも祀られて家々を守る鍾馗様です。
再生された町屋の一つです。
次に訪れたのは姉小路のまちなみと暮らしを守る取組です。
格調ある老舗や旅館の並ぶ姉小路。東の寺町通りから西の烏丸通りまでの700mの区間には、分譲マンションとコンビニがない、落ち着いた景観を守っています。
姉小路の住人が立ちあがったのが、平成7年ににわかに起こったマンション建設計画で、粘り強い住民の運動の結果、この建設計画は白紙撤回され、その後、17回もの協議を重ねて5階建ての賃貸マンションに変更されたとのこと。
これが、その後の京都市の中高層マンション計画の手本とまでなったとのことです。
これを契機にして姉小路界隈地区建設協定区域の指定にこぎつけ、その後、「景観法」の制定によって、現在地区計画の策定へとつながっているとのことでした
これまでの三つの取組の中で、京都のコミュニティは、いわば「シティズン」ともいうべきもの、という言葉にうなずけました。
単に歴史があるから、歴史的建造物があるからまちを守りたいと思うのではなく、住み続ける人たちの心のつながりがあっての景観保全なのだと。
伺った日は、翌日が地蔵盆という日。前夜祭として、「穴小路行灯会」がまもなく、という時でした。
600基を数えるという幼稚園児から中学生までが描いた行灯に火が灯ったら、さぞかし幻想的なことでしょう。
オープニングで演奏する御池中学生の生徒さんたちが準備を始めていました。



