1963年に起こった、狭山市で女子高生が誘拐・殺害された狭山事件。容疑者として逮捕され、取り調べの中で「私がやりました」と言わされてしまったがゆえに、一度は死刑判決を受け、上告審で無期懲役が確定した石川さん。
その後50年、獄中の32年間も,仮釈放後も引き続き、18年間無実を訴え続けています。
その石川さんと、石川さんを支え続けてきた早智子さんご夫妻の3年間を綴ったドキュメンタリーです。
上映後のサプライズ、石川さんご夫妻がわざわざ上映会場にいらっしゃり、挨拶してくださいました。早智子さんは、映画の画面にあったように、とてもチャーミングな方でした。
なぜ、石川さんは無実の罪を負ってしまったのか。
それは、操作に行き詰まった警察が,近くの被差別部落に見込み捜査を集中して行ったことが発端です。取り調べの中で、殺害現場に残った地下足袋の跡が、兄のものだと思われていることを察知した石川さんは、たくさんの弟妹も含め、一家の大黒柱であるお兄さんが逮捕されては大変と、嘘の自白をしてしまったとのこと。
その後、小学校にまともに通えず、文字をかくことができなかった石川さんには、証拠の一つとなっている脅迫状は書けなかったことが明らかになってきました。
32年の獄中生活の中で、実は看守さんが文字を教えてくれ、読み書きができるようになったとのことでした。
冤罪と差別、貧困、さまざまな労苦を背負い、殺人犯にしたてられた石川さんが、無実を訴え続ける強さ、そして早智子夫人との一見穏やかにみえながら、殺人犯という重荷を背負い、気の休まることのない生活。
冤罪はその人一人だけでなく、さまざまな人に重荷を背負わせていくこと。改めて、75歳の石川さんがお元気なうちに、一刻も早く再審が開かれるよう祈らずにはいられません。
関心のある方は、狭山事件のブログをご覧ください。
http://www.sayama-jiken.com/
☆追記
映画の中で、お二人が諍いをする場面が二つ、ありました。
一つの場面は、早智子さんが石川さんに「そろそろ、お父さんとお母さんの墓参りに行ってもいいんじゃないの」と進める場面です。獄中につながれている間にお母さんを亡くされた石川さんは、「無罪判決が出て、それを報告できるまでは行かない」と頑なです。息子が殺人犯だと烙印を押されたままで旅立たれたお母様の心中を察し、黙って手を合わせるしかないと思っていらっしゃるのでしょう。
二度三度、早智子さんが進めても「これだけは曲げられない」と。
早智子さんはその心中を察し、月命日にお花を供え、祈ります。「守ってください」と。
二つ目の場面は、「無罪判決が出たら何をしたい?」との問いかけに、「どこかに行きたい」と石川さんは応えます。「どこ?」との問いかけに、「ケニアに行って動物を見たい」と。
次にすぐに、「だけど夜間中学に行きたい」と言い直します。
「そうか、夜間中学ね。でもケニアに行ってから中学に行ったら?」と進める早智子さんに、石川さんは「いや、やっぱり夜間中学」と言い返すのです。
長く自由を奪われている石川さん、ケニアのサバンナで、自由に走り回る動物たちに思いを寄せているのでしょう。でもやっぱり学びたい、自由を奪われてしまった石川さんの重い、重い人生がずしりと重くのしかかった場面でした。