2015年03月04日

勁くて、弱くて、優しくて−、残酷な子どもたち

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 冷たい雨の昨日、ここのところ、ずっしりと重く沈んでいた心を抱えていたので、気分転換のために、たくさんたまっていた夏ミカンの皮でピールをつくりました。
 湯がいているうちに、煮詰めているうちに、ミカンの芳香が家の中いっぱいに漂って、重い心をいやしてくれました。

 川崎市の13歳で命を奪われた少年のお母さんのコメントが心に刺さります。優しかった少年は、歯を食いしばってもお母さんに迷惑をかけたくないと、一人でこらえていたのでしょうか。
 誰か一人でも、助けの手を差し伸べる大人がいなかったのか、残念に思います。
 そして、取り返しがつかないことをしてしまったと、悔いを口にしている少年にもー。

 私の知っている若者は、こんな環境の中でどうしたらこんなにしっかりした考えを持てるんだろう、と感心するほどでした。その一方で、「大丈夫? 無理していない? 大変なときは助けを求めてもいいんだよ」と心の中でつぶやいていました。
 周囲の人たちの支えもあり、自立に向かって進んでいったその先で、どうやらつまづきがあったようです。今、それまで彼を支えてきた人たちの手の届かないところに行きそうなのです。

 やるせない思いの中で、どの子も一人ひとりの大切な命、生きるということをまっとうできにくい社会って−、と自問自答しながら、無力さを噛みしめながら、ミカンの香りにいやされて、もっと噛みしめていこうと思っています。
posted by ふくろう at 18:11| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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