いつものように、一駅前の霞ヶ関から国会前に向かいました。
国会前交差点は、6時前だというのに異常な光景が広がっていました。歩道の脇にはびっしりと機動隊員が並び、信号が青に変わって少したつと「渡った先にたくさんの人がいて危ないので、渡らないでください」と信号を渡る人を規制しています。国会前の道路の歩道は、すでにたくさんの人で埋まっているようです。
ようやく信号を越えて、人の波に加わって少しずつ正門前に進むと、歩道の脇には8月30日とは比べものにならないほど頑丈なバリケードが、ロープでしっかりくくられて並んでいます。これ以上人が増えたら危険、それ故の横断規制なのでしょうか。だったらバリケードを撤去すればいいだけのことのように思います。
自分たちのこれからを左右する重要な法律が強行採決されるかも知れない、という危機感で異議申し立てを行うために来ている人たちの行動の自由をなんの権利で縛るのか。公共のために、というけれど、参加者から口々に、「もう車はほとんど通っていないじゃないか」、「バリケードを開けろ」と抗議の声が飛び交います。6時半の集会がはじまるころには、車道の両側にびっしりと装甲車が並びはじめました。
「なんのために、誰を守ろうとしているの?」目の前の機動隊員の方々に聞いても、もちろんノーコメントです。「危ないですから押さないで」を繰り返すばかりですが、人がたくさん集まって飽和状態になったら押されるのは当然です。
朝のニュースの一場面が頭をよぎります。ヨーロッパで、難民受け容れの拡大に対して賛否各々を表明する人々のデモの列は、車道いっぱいに広がって動いていました。なぜ日本ではデモの動きを規制しようとするのか。
やがて、危険を感じた人々の手によってバリケードは横倒しになり、どっと車道に人々が流れていきました。止めるのはかえって危ないと判断したのでしょうか。拘束された人が1人もいなかったのは(今のところその情報は流れていません)幸いでした。
たくさんののぼりやプラカード、そしてペンライトなどの光の輪と、思い思いのシュプレヒコールが交錯する向こうに聳える国会議事堂の中では、有権者1人ひとりの投票によって選ばれた「私たちの代表」とされる人たちは、どんな思いでこの法案の審議に当たっていることでしょう。
昨日の特別委員会の審議を見ていて、なんともやりきれない思いがしました。
大野議員のPKO法改正案に対する質疑については、防衛大臣も外務大臣もまともに正面から受け止めた答弁をすることはありませんでした。「何のために法律改訂が必要なのか」それすらまともに説明できない法案を、なぜ提案するのでしょう。
それにもまして驚いたのは、「米軍等の武器等の防護」についての運用については、法律が成立した後に決めるという答弁が飛び出したこと。法律さえ通してくれれば、あとはこちらが総合的な判断で運用するからね、とうのでは、なんのための国会審議なのでしょう。
与党の国会議員の皆さんも、立法の府である国会の議員という自らの存在意義がこれほど軽んじられいることを、しっかり受け止めてほしいものです。
「誰が議員になっても同じ」という有権者の気持ちには根強いものがあります。本来であれば立法府が法律をつくり、行政はそれを忠実に執行する立場であるはずなのに、いつまでも政府・内閣が物事を決めるために議会はそれを追認する存在に成り下がっている、これは地方議会に身をおいた者として、信じられない現実であり、突き崩せない壁でもありました。
だからこそ、この法案の行方の先に、私たちは本来の「主権在民」という民主主義の基本を実現していくための戦いの必要性をみつめて行動しつづけなければならない、切実に感じた夜でした。