2015年09月13日

「いのち」について向き合った時間ー市民福祉講座「いのちの選別ー出生前診断」

 昨日は、わらじの会主催の「いのちの選別−出生前診断」というテーマの市民福祉講座に参加しました。
 問題提起としてお話くださったのは、「NPO法人自立生活センターくれぱす」の見形信子さんです。見形さんは「神経筋疾患ネットワーク」として、出生前診断に異議申し立てをしています。

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 2013年から行われるようになった「出生前診断」は、妊娠中のお母さんの血液検査を行って、胎児の障害につながる率の高い染色体異常を調べる診断です。この検査で陽性反応が出た場合は、さらに羊水検査を行います。その結果障害があると判定された人の8割ほどが、妊娠中絶しているという調査結果もあります。

 運動神経や運動神経と筋肉のつなぎ目、あるいは筋肉細胞のいずれかの障害によって起こる神経筋疾患によって筋力の低下や筋肉がやせるなど症状が起こり、四肢が動かせなくなった見形さんは、小学校の4年生までは週2回、学校の先生が自宅に出向く訪問教育を受けていたとのことで、勉強時間はわずかに週4時間だけだったとのこと。小学校5年生で養護学校に通うようになって初めて、友だちができた、とのことです。
 その後、成長して自宅介護がむずかしくなったため、高校時代は国立療養所に入院しながら、併設されている養護学校で学びました。しかし、卒業に当たっての進路指導などなく、引き続き有効な薬もないままの入院生活を送ったとのこと。1980年代です。

 そして28歳で、当時盛んになった障害者の自立生活運動の仲間と知り合い、自分自身も自立生活を選択して今に至っています。

 障害ゆえに、障害を持たない(もしくは軽い)同年代の人たちが過ごしている環境から切り分けられてきた見形さんだからこそ、今、命の続く限り生き続けたいし、その権利を認めて、と訴えます。同じように、障害があって生まれてくる命は認められないのか、と突きつけます。

 1970年の心身障害者対策基本法の中で、先天異常を防ぐことが盛り込まれて以来、「不幸な子どもを産まない」という流れは連綿と続いているように思います。
 そして障害の有無で命を選別することは、次第次第に人間の存在そのものを選別することに繋がっていっているように思います。その人そのものを受け止めるのではなく、社会の用に立つか立たないか、使える存在かどうか、といった価値基準で人を見る傾向がありはしないでしょうか。
 
 しかし、少なくとも私の育った時代は、「子は神様からの授かりもの」、「子は神様からの預かりもの」と言われていたように思います。人間の手で作り出すことのできない命だからこそ、受取り、育てていくのが人間なのではないか、と思います。

 こんな出生前診断などを行っている一方で、健康や命に関わる食品添加物や農薬、あるいは薬害を引き起こす医薬品の問題、そして3,11以降の放射能汚染の問題、それについて真剣に取り組んでいる政策を見いだすことは困難です。

 長男を妊娠中のことでした。豆腐など添加物されているAF2が染色体異常を起こすことが分かりました。それを突き止めた、人類遺伝学の故外村彰先生を取材させていただく機会を得ました。そのとき外村先生のおっしゃっていたことが、その後ずっと私の指針になっています。
 「染色体に修復できない傷がついてしまったら、それは確実に次の世代に引き継がれる」
 「日本が体内にこれだけたくさんの科学物質を、飲食物として取り込む時代は、戦後のつい最近のこと。これは壮大な人体実験ともいうべきで、これからの世代にどんな障害などが起こるか予想もつかないのではないか」

 人間が自分の手で作り出したもので生命や健康を脅かすことは、作り出すことをやめること、あるいは食品や薬として体内に取り込まないことでやめることができるはずです。しかし、経済性優先の流れの中で、立ち止まって考えることなしにきてしまったことが、今に至っているのでは、そんなことを考えながら、命について向き合った時間でした。
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2015年09月11日

備えあれば憂いなしというけれどー

 一昨日からの大雨、昨日の未明からは屋根に叩きつける雨音で目が覚めて、眠れぬままぼんやりとテレビをつけて情報を見ていました。
 「大変なことになりそう!」

 50年に一度ともいわれる豪雨は、それこそ大変な被害を巻き起こしています。被害に遭われた方々には心からお悔やみ申し上げるとともに、今なお北上して大雨を降らし続けている「線状降水帯」による新たな被害が起こらないよう、祈るばかりです。

 昨日は、朝、団地に住むYさんの介助に行くことになっていました。一昨日の夜、いつも通る道の状況はどうか、見てみました。もう安之堀川はあふれんばかりになっていて、その上の夜半からの雨では、冠水しているだろうと思ったところ、未明にあふれたようです。

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 これでは自転車で通るのはむずかしいので、団地の中を通って行くことにしました。
 ところが−。

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 保育所と近隣公園の間の道路は、このように完全に川状態です。タイヤが側溝などにとられるのが怖いので、自転車を降りて押して歩きました。そうだった、長男がまだ幼かったとき、保育所帰りに長男を乗せてこうして押して歩いたことがあったっけ、と思いだしながらですから、40年ぶりのことでしょうか。
 団地のあちこちも、川になった道路や沼? と思う光景が広がっています。

 Yさん宅にたどりついたものの、これではYさんが車椅子移動で、今日の活動場所まで行くことはできません。ところが、天候の悪いときには車での送迎を頼むくらしセンターは、通所者も職員もセンターまで来れないため休みとなったとのこと。
 Yさんの日中介助を確保しなければ−。幸いなことに泊まりに入っていたのが元法人職員のNさんだったので、ふたりで片っ端から歩いてこれる範囲の介助スタッフに連絡をとりました。昼間で私が延長し、午後から介助に入ってくれる人を確保して、一件落着となりました。
 24時間介助が必要なYさんは、年に数回、介助に関わっている人が集まって交流会を行い、情報交換しています。こういういざというときには、やっぱり顔の見える関係ができていることが頼みになると実感しました。

 帰りは、結局、安之堀川沿いを通っても状況は変わらないと思って向かったところ−。

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 安之堀が合流する新方川は、もう堤防の縁すれすれ、というほどの水位です。これ以上、上流からの水かさが増さないといいのですが。

 というわけで、被害はなかったわが家ですが、テレビや新聞で、せんげん台駅前の冠水と電車の運行中止が報道されたせいか、「大丈夫なの?」安否確認の電話やメールが続きました。せんげん台付近の水は昨日の夕方には引いたようですが、新方川の下流では川があふれて浸水被害が起こっているようです。
 今朝も時折ヘリコプターが飛んできて、上空から状況確認をしているのでしょうか。

 水浸しになった街を歩いていると、ちょっとした高低差が水の流れをつくっていることが分かります。特に、マンションなどの玄関前のスロープや階段から途切れることなく流れ落ち、側溝で受け止めきれず道路に落ち、その道路から広い道路に流れこんでその側溝も受け止めきれない、という光景をあちこちで見ました。
 防災というけれど、こうした都市部の内水の現状を加味した、まちづくりも考えていかなければ、と思いました。


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2015年08月31日

一人ひとりのつながりと広がりで成功した「疎開した40万冊の図書」上映会

 29日の土曜日は、戦時下、日比谷図書館の貴重な蔵書を空襲の火の手から守ろうと、疎開させた人たちがいた、という事実を追ったドキュメンタリー、「疎開した40万冊の図書」の上映会が行われました。

 「春日部の平和を語る会」のメンバーの一人が、この上映会を是非開きたいと提案したところ、市民活動センターで活動している団体のメンバーを中心に賛同し、実行委員会をつくって、この3か月準備を進めてきたものです。

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 当初はこの地味な映画、欲張らずにそこそこの会場で、身の丈にあった上映会にしようという意見もあったのですが、実行委員会のメンバーが10名近くいるのに、小さな会場ではチケットを売るのも本気度が薄れる、ということで、なんと、定員350人の中央公民館の講堂で行うこととなりました。

 ガラガラだったらどうしよう、そんな不安もありましたが、当日、なんと250名近くの方の参加がありました。

 広報に力を貸して下さった多くの皆さん、報道してくださったマスコミの皆さん、そして暑い中、一枚一枚チケットを売ってくれた多くの仲間、裏方の仕事を支えてくださったスタッフの皆さん、たくさんの人たちの力で、これだけ多くの人に映画を見ていただけたことを本当にうれしく思います。

 久しぶりに、力を合わせてイベントを開催する、という機会をもつことができました。一人ひとりの力はちいさいけれど、けっして非力ではない、ということを確認させていただきました。
 感謝、感謝です。
posted by ふくろう at 19:04| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

戦争しない国をつくりたい若者たちの思いをしっかり受け止めたい

 作日の「戦争法案反対国会大包囲」、12万人もの人々が集まったとのことで、国会正面前の道路は1時間もたたないうちに車道に人々がなだれこみ、開放状態になりました。

 私は、12時45分からの自由の森学園の「song for peace有志合唱国会前」から参加。
 在校生主体の行動だけれど、OBや保護者、そして自由の森の合唱を愛する人たちがたくさん詰めかけ、娘に動画の撮影を頼まれていたのに、それもままならない状態。
 でも素直な若者たちのスピーチと合唱に心打たれました。

 あとで録画が公開されるとのことで、興味のある方は是非ご覧ください。
 なぜ、「歌」なのか。について実行委員の1人が「沖縄の辺野古の座り込みで、人生をかけて必死に基地建設反対の抗議をしているのに、それをせせら笑うように対峙する防衛局の人たちに衝撃を受け、しかし、抗議行動をしている人たちが島唄を歌い、踊っているときの生き生きした笑顔に、歌の力を感じたから。怒りをぶつけるだけでなく、歌声で思いを届けることもできるのでは」というような意味のスピーチをしていました。
 さらに、「本当は自分はだれも憎みたくない。むしろ愛するようになりたい」と、自由の森創立30周年のときに生まれた合唱「世界がいつか愛で満たされますように」を歌ってくれました。
 「民衆の唄」も「ケセラ」も良かったけれど、とてもレアな歌だけれど、やっぱり何度聴いても涙の出る「ヒロシマの有る国」でを唱ってくれたのはうれしく思いました。以下でその曲を歌う動画を見ることができます。
 https://www.youtube.com/watch?v=QCUDlaVQX3g&feature=youtu.be

 「ヒロシマの有る国で しなければならないことは ともる戦の火種を消すことだろう」とこの曲の結びにあるように、そして今日参加した多くの若者たちや若いお母さんたちのスピーチにあったように、「戦争のできる国ではなく、戦争をしないことで、世界中の人たちと平和に暮らせる国になること」を求める多くの国民の思いを,政治家はしっかり受け止めてほしいものです。
 「それは理想論」といなすのではなく。理想はいいことなのだから、それを実現する努力にエネルギーを注ぐのが常道だろうと、若者たちは突きつけているのです。
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2015年08月28日

自分のつくったもので被害を受けた人がいたら−、「原発メーカー訴訟」

春日部を離れ、前橋で10日間の孫守り兼夏休みを終えた本日は、「原発メーカー訴訟」の第1回の口頭弁論を傍聴しました。

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 裁判のあとの報告会にも、傍聴席に負けず劣らずの方の参加がありました。

 私たちの日常生活の感覚では、欠陥商品によって事故が起こった際は,製造したメーカーは、製造物責任法(PL法)や民法上の不法行為責任によって事故による被害の賠償責任を負うことになります。
 しかし、こと原発事故に関しては、原発メーカーは、原子力損害賠償法(以下「原賠法」)に規定された責任集中制度により、責任は原子力事業者(電力会社)のみが負い、その他はすべて免責とするとされています。
 しかし、原子炉の欠陥や製造上の不具合など、メーカーの過失によって事故が発生したとしても、メーカーが一切の責任を免れるとというのは納得のいかない話しです。これでは安全性よりも営利性を重視して原子炉が造られるということにもなりかねません。
 メーカーが責任を免れることのできる、責任集中制度の見直しが必要であること主張してこの訴訟に取り組むことになったのです。
 原子力損害賠償法を変えていくためには,上位法である憲法違反であるとの論点から追求する必要があります。そこで、原告団は責任集中制度が、原子力の恐怖から免れて生きる権利、すなわち「ノー・ニュークス権」を侵害しているという主張を柱に据えています。詳しくは、是非、原告団の公式サイトをご覧ください。
http://nonukesrights.holy.jp/
 傍聴して,今回被告となっている原発メーカー、東芝、日立、三菱、GE WECの代理人の方々の、メーカーが訴えられるのは納得がいかない、という趣旨の主張に、福島を中心とする多くの方々の暮らしを奪い、事故によって命を絶たれた人たちがいて、今なお健康被害に不安を抱きつつ暮らしている現実を直視しようとしない姿勢に鳥肌の立つ思いでした。
 このような制度のままで再稼働? これでいいのでしょうか。
 今後もできる限り、傍聴し続けていこうと思っています。
 昨日の山の手線の事故に続き、本日は私の利用する東武線スカイツリーラインの事故。車輌点検に伴う事故でなんで長時間もダイヤが乱れるのでしょう? 
 やっとのことで、裁判には滑り込みセーフでしたが、帰路はまた、システムの不具合によるダイヤの乱れ。このところ、なぜか鉄道のトラブルが続いていますね。東部線がストップすると、陸の孤島になりかねない地域に住む者としては、「しっかりしてよ〜」と言いたくなります。
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2015年08月15日

50年前に似た空気が漂う戦後70年の今

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 8月15日の終戦記念日、わが家の昼食は「すいとん」です。あの大戦で尊い命を奪われた方々の冥福を祈っていただきます。

 そのころまだ1歳だった末っ子の夫を含む、3人の幼い子どもを連れて、旧満州から引き揚げてきた夫の母は、「戦争中のすいとんは、こんな贅沢なものではなかった」とよく言っていました。その義母は、夫が今でいう離乳食の時期に当たっていたのに、食べるものに不自由してピーマンの蔓が手に入ればいいほうだった、と言い、そのせいで常に下痢気味だった夫のおむつを洗うのに困った、という話しを断片的にしてくれただけでした。
 今にして思うと、もっと話しを聞くべきだったと思います。

 そうしてひどい栄養不良のせいか、結核菌が体内に棲みついてしまった夫は、その後、結核性の関節炎で何度も股関節の手術をし、高校のときには結核も患いました。
 あの大戦で尊い命を奪われた方々とその身内の方々のことを思うと、この程度で済んだことは感謝しなければならないのでしょうが、戦後70年といっても、まだまだ戦争の影響は案外身近なところに残っているのです。

 そして、国会で「集団的自衛権」を容認する「安保法案」なるものが議論されている今、私は50年前、私が高校を卒業して大学に入る頃の空気に似ている、と感じています。
 大学に入ってからの数年は、バリケードの中だったといっても過言ではありません。

 最初に、「自衛隊適格者名簿」なるものの存在が明らかになり、「徴兵制」につながるのでは、と平和団体や学生が声をあげました。この問題はうやむやなまま、現在でもこの名簿の存在はときどき問題となります。ごく最近では、自衛隊の入隊案内が18歳の若者に送られてきた自治体があったようです。ずっと社会の底流にひそんでいるのでしょうか。

 また、昔の紀元節の日である2月11日を「建国記念日」とする祝日法の改正でも反対の声が上がりました。

 そして、私たちの大学で一番大きな問題となったのは、「目的化大学構想」というものでした。産学協同が提唱され、それに対して学問の独立性を主張する人々の反対の声が高まったのです。
 私の入学した学芸学部は、教員を養成するための教育学部に改編するとされ、教員になるために必要な教科だけを履修すればよいとされたのです。
 「教師となるためには幅広い人間教育が必要」とする学生側は全国的に連帯して反対運動を展開し、東の拠点が私の母校、そして西の拠点は大阪学芸大学となったのです。

 最近、「文化系大学不要論」が取り沙汰されていて、50年前の状況と重なって見えます。

 全国的には、学生運動=全学連運動と見られ、ベトナム戦争反対や国際反戦ディ、そして成田空港建設をめぐる成田闘争などが大きなうねりとなって広がったようですが、その陰にはこのような学生運動もありました。

 今、「安保法案」に反対する若者たちの姿に、50年前の自分が思い出されます。あのとき、ほんの少し、権力が揺らいだように見えました。「でも何も変わらなかったではないか」と言われるかも知れません。
 でもそうして自分が動いたことはその後の自分の生き方の底に潜んでいて、納得のできないものにはNOと声をあげなければ、と思うのです。

 今日の朝刊で瀬戸内寂聴さんが語っていらしたように、「立ちあがったという事実はとても強い」ということを信じたいと思います。50年前、これからの社会は良くなっていくんだろうと信じていたのに、今振り返ってみると、本当に良くなっているのか、と疑問を感じるとしたら、あの若いころに求めていたものを今一度見つめ直して、より良い社会のためにまだまだ動いていかなけれな、と思った終戦記念日です。

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2015年08月03日

歴史的な司法判断をかちとるための第1歩、これから本当の戦いー福島原発告訴

 本日は、地裁前で行われた福島原発告訴団の、起訴議決という英断をした検察審査会に感謝を伝える緊急行動に参加しました。

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 何といっても、強制起訴にこぎつけて安堵している、告訴団の中心を担っている皆さんに「ごくろうさま」、「よかったね」と挨拶をしたかったのです。

 東京第5検察審査会が起訴相当とした議決書については、Face bookで紹介しましたが、告訴団のサイトにも紹介されています。http://kokuso-fukusimagenpatu.blogspot.jp/
 なんといっても2008年の段階で第1原発には最大で15.7mの津波が押しよせる危険性があることを指摘されていたにも関わらず、コストの問題から安全対策をとらなかったことが、今回の苛酷事故の原因となっていること、つまり安全対策よりも経済性を優先させた責任は大きいと断じていることが、被害者だけでなく、多くの市民感情とつながっていて、「司法は民衆のためにある」という姿勢を示してくれていることをうれしく思います。

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 マイクを握っているのが、最近「映画監督の河合弘之です」と自己紹介する河合弁護士ですが、河合さんのお話はいつでもユーモアに満ちていて、一緒に運動している人たちすべてに勇気を与えてくれています。
 今日も、「福島の事故が何一つ解決していない中で再稼働を進めようとしている流れ、そのために事故のことを忘れさせようとしている空気に対して、この裁判が“忘れてはならない”ことを明るみに出してくれる意義は大きい」というような意味のことを話されました。そうですね。

 続いて海渡雄一弁護士が、「小沢一郎代議士の強制起訴は、実は検察側も起訴にしたいという思いがあっての検察審査会の決定であったけれど、今回は検察が起訴はしたくないと考えている中でも強制起訴で、大きな意味がある」と語りました。そしてその意味ある起訴に対して十分に渡り合っていくために、これまで以上の努力をしていくことを共に確認できたように思います。

 「強制起訴、ありがとう」「市民の正義をありがとう」……。検察審査会に向かって暑さを跳ねのけるほどの力強いシュプレヒコールで締めくくられた行動でした。

posted by ふくろう at 19:30| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月30日

ドキュメンタリー映画「疎開した40万冊の図書」の上映会を行います

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 あなたはご存知でしたか。戦時下日比谷図書館の本を守った人たちがいたことを。
 戦争末期の1944年から45年にかけて、日比谷図書館の蔵書の一部が、50km離れた奥多摩と埼玉県の志木市に疎開します。当時の中田館長は図書館の蔵書だけでなく、民間人が蒐集していた貴重な本も買い上げ疎開させました。リュックに詰めて背負い、あるいは大八車に乗せて運ぶ人手は図書館員だけでは到底たりず、当時の都立一中(現日比谷高校)生も動員されました。何回となく足を運んで疎開した図書が40万冊となった5月、日比谷図書館は焼夷弾によって全焼しました。
 自分の命を守るのが精一杯だった時代に、つらく苛酷な作業によって先人の文化や歴史を守ろうとした人たちの思いを、戦後70年の節目に当たる今年、多くの人たちと共有したいと、さまざまな市民活動の団体や個人が集まって「観る会」をつくり、上映の準備を進めています。
 できるだけ多くの方に観ていただきたいと思い、会場は春日部市八木崎にある中央公民館の講堂をお借りすることにしました。
 また、本を運んだ高校生たちと同じような若い世代にも観てほしいと、学生割引も設けております。
 関心のある方は是非、足をお運びください。

☆上映会
日 時:8月29日(土)1回目・14時~、12回目・19時~(いずれも会場は30分前)
ところ:春日部中央公民館講堂(東部アーバンパークライン八木崎駅下車徒歩1分)
主 催:「疎開した40万冊の図書」を観る会
協力券:大人1,000円、学生500円
取扱店:紅雲堂・後藤商店(八木崎駅前)・ハスミ(南桜井駅)・西武百貨店春日部店(5階ギフトサロン)、服部書店(武里)
連絡先:高橋(電話048-763-1517)、川島(携帯090-4955-4989)

 
posted by ふくろう at 15:12| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月19日

一人ひとりの命の重さをかみしめたい

 昨日は、第10回の「かすかべ平和フェスティバル」でした。

 午前中は、「生かされて79年」と題する仲田清一郎さんのお話がありました。

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 仲田さんは太平洋戦争の末期、沖縄から長崎に向かう途中、米軍の潜水艦が発射した魚雷によって沈没した集団疎開船・対馬丸の数少ない生存者のお一人です。当時8歳。
 淡々と話される仲田さんの言葉ですが、8歳の少年が真っ暗な海の中で、「母ちゃん!」、「先生!」泣き叫ぶ子どもたちの声を聞き、そしてその声が一人、またひとりと消えてしまう中で丸太につかまってただよっていた、その深い闇の中をどんな思いで過ごしたのだろうと、お話を聞きました。
 仲田さんの家は海運に関する事業をされていたようで、出航前に、千手観音にお詣りして無事を祈ってくださり、千手観音さんの手の平の上で生かされた、という思いがおありだったようです。
 それも含め「79年生かされてきた」という仲田さんのお話を、もっと聞きたいと思いました。
 
 今回の企画は急だったため、時間が足りなかったので、第2弾として、「対馬丸」に関する映像の視聴と共に再度仲田さんのお話を聞く会を設けたいとのことでした。

 午後は、市原悦子さんの朗読とお話の会でした。
 ユーモアにあふれ、声高ではない市原さんの、主に疎開された頃の子ども時代のお話、そのあとの童話の朗読は−。

 一つは野坂昭如さんの「戦争童話集」の中からの一編「凧になったお母さん」。もう一つは、あんまきみこさんの「ちいちゃんのかげおくり」
 二つとも童話です。フィクションといえばそうです。しかし、その中に凝縮された、「楽しいことも知らず、おいしいものをお腹いっぱい食べることもできず」奪われた幼い命。
 亡くなったかた何百万人というとほうもない人数の中にあった、一つひとつの命の重さに圧倒された思いの、今回の「平和フェスティバル」でした。

 昼休みの時間、ちょうど1時になったので、全国で、地元で「阿倍政治を許さない!」というカードを掲げてスタンディングしている仲間に思いをはせて、正風館前の道路で一人スタンディングをしました。
 通りかがりの方からうなずいての挨拶をいただいたり、握手していただいたり、「一緒にがんばろう」との激励をいただいたり。一人でも、一人から歩んで行かなければいけないと思いました。人間が人間でなくなる、戦争する国にしないために。
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2015年07月16日

心強い、若者たちの「自分たちの手で民主主義を取り戻す!」

 昨日は、皆から「戦争法案」と呼ばれている「安保法制」特別委員会の強行採決抗議集会に、昼の部から参加。「総がかり行動」の集会は18時半からなのですが、日中の行動は、参加できる人が限られているだろうからと思い、昼の部からの参加にしたものです。真夏日とされていましたが、幸いなことに、国会周辺は街路樹が多く、木陰に座っていると時折吹く風が心地よく、暑さをさほど感じずにすみます。
 仲間はまだ来ていないだろうと思ったところ、偶然、越谷の知人に会え、また、隣近所に座る見ず知らずの方とも話しがはずんで、昼の部の集会から座り込み、そして16時半からの夕方の集会と、時間が流れていきます。
 その間、帰る方もいたり、詰めかける人あり、徐々に参加者はふえていきます。強行採決のニュースが報道されると、これは黙っていられない、と駆け付ける方が多いという印象です。
 
 国会正門前は封鎖され、人っ子一人寄せ付けない警備ぶり。警察も今までよりも参加者が増えることをみこしてか、車道側に入念にバリケードを設置し始めました。

 夜の集会が始まる30分ほど前からは、続々と人が詰めかけ初め、すでに正門前の歩道は、新たに参加する人たちがすいているエリアに移動するのもスムーズにはいかなくなってきました。

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 集会が始まると、次々とスピーチする野党の党首に、周囲には「野党は一枚岩になって頑張れ」、「党派にこだわってる場合じゃない」とつっこむ人たちもいます。数を頼みにして強行採決する与党に対してだけでなく、多数の国民の思いが届かない国会に対するいらだちを感じます。もちろん、このような状況にしたのは有権者一人ひとりの選択、投票行動の結果であったことを、あらためてきちんと受け止めていかなければならないでしょう。
 「今日は終わりではない、今日がスタート」
 スピーチの中にもそんな呼びかけがありました。
 「民主主義が死んだ日」とする人もありましたが、私は若い人たちの「これから自分たちの手で民主主義を取り戻す」というに共感しました。

 国政選挙は私たちの手に届かないところにありそうな気がしますが、決して手の届かないままであってはならりません。次の国政選挙では有権者一人ひとりが当事者として関われるものにするためのうねりをつくっていかないと、日本は民主主義国家たりえないと思いながら、集会終了少し前に、霞ヶ関の駅の方向に移動していきました。

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 すでに参加者は2万人を超えていそうですが、霞ヶ関の国会前の信号でも、新たな参加者が続々と詰めかけています。国会議事堂前駅や永田町駅からもきっと、たくさんの人たちが詰めかけているのでしょう。
 国会前の歩道では、「車道を開放しろ」という声が次々に起こっていました。脱原発の第1回目の官邸前行動のように、バリケードを除いて車道に参加者が流れるようにしないと、ケガ人が出そう、と思っていたら、後半はそうなったようですね。
 10万人と言われる人々、そして、今日話した人たちのように、「来たくてもこれない人たちのためにも自分が」という人もたくさんいることを考えると、ここからなにかが始まる、と確信して7時半からの若者たち主宰の集会に心ひかれながら、駅に向かいました。




 
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2015年07月09日

学校の主人公はこどもたち、のはずなのに

 またもや、悲しい事件が起こってしまいました。
 岩手県の中学2年生が、いじめに苦しんで自殺の道を選んでしまったという事件について、さまざまなメディアがさまざまな報道をしています。
 このような重大な事件で、しかも人の命に関する問題で、さらに、詳しい事情を知らない私が何か発言することは、慎みたいと思っています。
 しかし、今回は、報道の中のさまざまなコメントに違和感を覚えたので、書き込むことにしました。

 いろんな方のコメントの中で、教育評論家の尾木直樹さんが、私の思いに近いと感じました。生活記録のやりとりに触れ、「この担任のコメントは、教師という立場からの上から目線」というような意味をおっしゃっていたことです。
 今、担任の先生が自責の念にかられているだろうことを思うと、追い打ちをかけるようなことをしてはいけないと思いつつ、個人の問題だけでなく、今の学校現場のひずみがこの事件の奥底に潜んでいるような気がしてならないのです。

 学校というのは、一方的に教師から教わる場、だけでなく、子ども同士が育ち合う場でもあるはずです。いじめの問題が起こったとき、なぜそんなことになるのか、徹底的にいじめる側の子どもたちの思いや胸の内を聞く姿勢はあったのでしょうか。いじめている子たちに対して、「してはいけないこと」と反省を求める、いわゆる指導だけが行われていることがままあるのではないでしょうか。その場合、いじめは止まないばかりか、先生や大人の目を盗んで陰湿になったり、学校の場を離れて行われたりするのではないでしょうか。
 先生という立場の上から目線で指導するのではなく、子どもの隣る人≠ニして思いや心の叫びを聞き取る姿勢をもっていれば−、と思わずにはいられません。

 今回の事件で自らの命を断った生徒の傷ましさはいうまでもありませんが、この学校の対応で多くの子どもたちが、自分たちが友人の命を奪ってしまったという取り返しのつかない悔いを抱えることになってしまったこともまた、あまりにも無残です。

 学校という場が、本当に子どもたちが健やかに育っていく場であるために何が求められているのか、真剣に考える必要がありはしないでしょうか。
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2015年07月05日

改めて30年の時間を噛みしめてー車椅子に乗って独り暮らし30年・野島さんのお話

 昨日は、春日部まちづくり応援団が毎月一回開いているウィークエンドブランチに参加しました。
 今回のゲストは、わらじの会の仲間、野島久美子さんです。

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 1歳のときのケガで障害を負った野島さんは、養護学校卒業後、自立のために中伊豆の施設に入ったものの、毎日富士山を眺める暮らしがいやになって一度自宅に戻りました。しかし、電動車椅子が手に入るまでの3年あまりは自宅に閉じこもる暮らし−。
 やっと車椅子で外出できるようになったものの、家庭の事情でご両親が自宅を手放すことになり、施設への入居を強要され、着の身着のままで家出してわらじの会へ。27歳のときのことです。

 以来、日常生活の大部分で介助の手を借りながら、独り暮らしをしています。

 改めてその30年間の歴史をたどるお話を聞きながら、時間の重みを感じていました。

 野島さんの独り暮らしからほどなく、重度の障害をもつ人たちが親元を離れて暮らすための生活ホームができ、その人たちの暮らしを支えるために、まだまだ制度がほとんど無かったため有料の介助システムを立ち上げました。現在そのシステムに加わっているメンバーは220人ほど。国の障害者支援制度はめまぐるしく変わり、それでも国の制度だけでは24時間介助が必要な人の暮らしを支えていくことはできません。
 資格・年齢を問わず、自分ができることを、障害を持つ人の求めに応じて支援していく自前のシステムは、同時に地域の人々のつながりを紡いでいく場ともなっています。

 だれかが行動し、声をあげ、それに共鳴する人たちがいて、地域ができていく、その中で私も支えられて生きてきたことを再認識しました。
 お話の後、「それでもやっぱり障害を持つ人とどう接していいか分からない」という率直な感想を聞きました。つき合ったことがない人にとっては、そう思うのは本当だと思うのです。でも、近くにいる障害を持つ人とつき合ってみると、そんなことは杞憂だったと、きっと思うのではないでしょうか。
 そして、ちょっと日常生活のテンポがちがう障害を持つ人との時間の中で、いつもとは違うゆったりした時間の流れを味わうことができるような気がしています。
posted by ふくろう at 19:27| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月22日

なんか変、という思いを大事にしながら歩んでいかなければ

 昨日は、久しぶりにハードな日曜日でした。
 まず、午後は、「SEIJI を市民に取り戻そう」 と名付けられた「みずほと一緒に国会へ行こう in 埼玉」結成イベントに参加。呼びかけ人に旧知の人たちの名前がズラリ−。
 福島みずほさんは、故土井たか子さんが呼びかけた「市民との絆」、そして女性議員を増やそうと開かれた「女性の政治スクール」以来のもう15年以上のおつきあいがあり、私が市議会議員となったきっかけとなった存在でもあります。
 それ以上に、政治的な課題で開かれる集会や行動のほとんどでその姿を見かけ、お話を聞く、今の政治状況の中ではなくてはならない国会議員であることは確かです。
 昨日のお話を聞いて、ますますそう思いましたが、さて、みずほさんが昨日話されていたように、「ちょっと変」から「何か変」、そして「すごーく変」と思いその「変」を変えて行くうねりをつくるためには、個々の国会議員の力量だけでなく、もっと変だと思う人を束ねていく政治勢力がなければならないのでは−、この政治情勢の中でいろんな人から聞く声です。
 それをどうしていくか。
 講演会が終わったあと、久しぶりに顔を合わせた昔からの仲間たちとそんなことを語り合いました。さて、衆議院の解散がなければ、最も近い国政選挙、参議院議員選挙まで1年となりました。
 その後、ホームレス支援を中心にしながら種々の貧困問題に取り組んでい「ほっとプラス」主宰の講演会「生活困窮者支援の過去と未来」に参加しました。
 記念講演は、「年越し派遣村」で知られるようになった「NPO法人自立生活サポートセンターもやい」の稲葉剛さんです。
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 稲葉さんの1枚目の写真は新宿駅西口地下の「ダンボール村」の光景です。稲葉さんがこの活動に携わるきっかけとなったのはこのダンボール村で、そこで、路上で人が死ぬ、という現実に直面して夜回りなどの活動をはじめたのがスタートだったというお話から、あの頃新宿駅でみたダンボール村の光景がくっきりと浮かんできました。
 
 初期のころは、ドヤ街の人たちが仕事を失い、ドヤにも住めなくなって生まれたテント村、そこでは仕事にありついた人がその稼ぎで食糧を買って分け合ったという、支え合った生きているという現実があったそうです。
 それが都庁の建設によって排除されるー。
 そうして排除された人々は、場所を変えてダンボールやブルーシートで住まいをつくり、ホームレスと言われる人々がいろんな場所で目につくようになりました。
 稲葉さんたちは、そんな状況の中から発言し続け、働きかけ続け、ホームレス支援法の制定に一役かったりしてきました。しかし、実情はどうでしょう。

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 続いて稲葉さんと対談したほっとプラスの藤田孝典さんが、社会福祉に関心をもったきっかけが、話しをしたホームレスの方が、実はそれまではサラリーマンをして、家庭をもっていたことを知り、衝撃を受けたことだったと聞いたように思います。
 ダンボール村のときは比較的特殊な人たちの問題だった貧困、それがそれとは縁がないと思っていた人たちがある日突然、リストラなどで職を失い、さらに支えを失ってホームレスになり、現代は若い世代がホームレスになるというように、貧困・生きづらさは広がってきているのです。
 藤田さんが最近取り上げることが多い、高齢者の貧困問題。近著の「下流老人」では「年収400万でも将来生活保護レベルの暮らしに?」というショッキングな指摘をしています。今や人ごとではない貧困。そういう時代をどう支え合って生きていくのか、藤田さんが言っていたように、「生活困窮者自立支援法」の元でさまざまな制度が整えられていったとしても、その制度の中で専門職が支援しようとする落とし穴によって、支えられない困窮者を生み出さないために、今まで、民間やボランティアの人たちの力で築き上げられてきた支援の中身からじっくり学んでいかなければ、と思いました。
 それと同時に、こんなに「貧困層」を生み出す社会、そのものについても向き合っていかなければならないと思います。
posted by ふくろう at 20:11| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月16日

戦争できる国にするかどうかは、私たち1人ひとりの覚悟と選択の問題

 一昨日は、「戦争させない・9条壊すな! 総がかり行動」の国会包囲行動に参加しました。(どうしてもFace bookに投稿してブログが後回しに。お許しを)

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 先日の辺野古基地建設反対を上回る人、人、人の波。すでに、地下鉄の駅でなかなか地上に出られない状態でした。写真は国会正門前ですが、反対側も同じように人の波です。

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 昨日は2万5000人もの人たちが国会を包囲したようですが、「集団的自衛権は合憲、という憲法学者はたくさんいる」と言っておきながら、結局3人しか名前を挙げられないことを突っ込まれて「数の問題ではない」とキレてしまった菅官房長官は、「数の問題ではない」というのか、「2万5000人なんて全国民からみたら少数派」というのか、一度聞いてみたいものです。
 私は、久しぶりに「緑の党」の旗の下で行動しました。スタッフ手作りのボードが素敵で、掲げさせてもらいました。

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 メッセージは、
「私たちは望む
 誰とも戦わないことを
 戦争しない約束を
 永久に」
 伊勢崎賢治さんたちが言っているように、憲法9条を持つ日本だからこそとれていたスタンスは、とても大事なもので、やっぱりそれがあってこその70年間の平和なのだと、改めて思います。そして今、それをかなぐり捨てなければならない理由は、どこを見てもないように思います。
 さらに、戦争できる国にするかどうかは、国会議員が声高に「国会で決めること」といくら叫んでも、私たち国民1人ひとりが決断することなのです。
 2万5000人の数をどうとらえようと、それだけは変わらないことをしっかり胸の底において、行動していこうと思います。私は非力だけれど、無力ではない!
 国会包囲行動に引き続き行なわれた渋谷の若者デモも、宮下公園に入りきれない程の人が集まったようです。報道によると6000人とのこと。安堵感を覚えるニュースです。
posted by ふくろう at 10:58| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月08日

子どもの問題は大人の問題ーフリースクール25周年パーティー

 昨日は、フリースクールりんごの木や、自立援助ホーム「ゆらい」を運営するNPO法人越谷らるごの総会がありました。
 その後、フリースクールりんごの木の25周年記念パーティーが行われました。

 もう25年。私とらるごの関係は、我が家の子どもたちがお世話になった「遊学舎」という塾の一室が、不登校の子たちのたまり場になったときからのことですから、早30年近い年月が流れたことになります。
 そのころ仕事をしていた教育関係の雑誌で「不登校」の問題を取り上げることがあったことも、関心をもつようになった一因です。
 余談ですが、そのころご指導いただいた保坂展人さんは今や世田谷区長になり、そして当時はまだ現職の教師をされていた尾木直樹先生は今や「尾木ママ」として大活躍されています。

 この時の流れの中で、本人や家庭の問題と批判の対象となりがちであった「不登校」(登校拒否という呼び方もされていました)も、大分世間の見る目が変わってきました。現在の国会に、「子どもたちの多様な学び方」についての法案が提案される予定で、これでフリースクールや家庭で学ぶことが認められ、財源も当てられる公算が大きくなってきたことは、朗報です。

 多様な学び方を心底認められるのか、子どもたちの「自分はこんなところで、こんな学びをしたい」という選択をきちんと受け止めることができるのか、そこにかかってくるように思います。

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 パーティーの第1部は、スクール生の先輩たちのパネルディスカッションでした。
 話してくれたのは、現在30歳になった消防士の若者、19歳で絵を描き続けている若者と同じく19歳のデザインの勉強をしている若者の3人でした。写真もOKとのことで、その素敵な表情も見ていただきたかったのですが、拡散が怖いので登壇前のスナップです。

 若者たちが言っていたこと。
「りんごの木で過ごしたときは、24時間365日、自由があった。多分、一生の中でこんな時代はなかなか送れないだろう」
「大学に行こうと思ったとき、果たして大学の勉強についていけるのか、という不安はあったけれど、入ってみたら、ふつうに小・中・高校で学んできた友だちと何の変わりもなくやっている」
「こうしなければいけない、という思い込みよりも、なんとかなるさ≠ニ思ってチャレンジする方が楽しい」
 etc.
 別の話になりますが、「自分のことは自分で決める」ことを大事にしている自由な校風の学校で、「自分のことを自分で決める」むずかしさに挫折しそうになる生徒の姿をみたものです。自由ってそれだけ大変なことなのに、それを大変と思わずに自分の生き方を切り拓いていこうとしているまぶしいほどの若者たち。それを可能にしたのは、迷いながらも我が子を受け止めてきた家族や、その子のありのままを受け止めてきたスクールの友だちやスタッフの皆さんの存在があったのだと思います。

 大ヒットとなった「レディーゴー」、ありのままで。フリースクール生だけでなく、障害のある子たち、認知機能の衰えたご高齢の方などなど、ありのままのその人の存在を受け容れることは大変な面もあるかも知れませんが、それこそが人間関係の第一歩であると思える人たちとつくる地域は素敵だと改めて思った1日でした。
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2015年06月07日

学校図書館司書が市民権を得たといっても

 昨日は、「学校図書館を考える全国集会」に参加しました。

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 会場となった日本図書館協会の研修室には、学校図書館の充実のための運動を長年続けてきた「学校図書館を考える全国連絡会」に加盟する全国の団体の会員をはじめ、100人近い方々の参加がありました。

 まず、東京学芸大学の山口源治郎先生の「現代教育改革の中の学校図書館」というテーマの記念講演がありました。
 山口先生は、最近の教育改革の問題点を挙げながら、子どもたちの読書や学校図書館に関する政策について、
2001年に「子ども読書活動推進法」が制定されてから、国は、三度にわたって「子ども読書活動推進計画」を策定してきたこと、さらに、学校図書館整備計画も1997年に策定されたことについて解説してくださいました。
 これは国際的な学力テストにおける日本の成績不振により、グローバルな人材育成のための学力向上を目指す一環として、読書活動の推進が掲げられたとのこと。しかし、目的はともかく、読書活動を推進し、学校図書館の充実をはかることで、子どもたち自身の中に、考え、探究する力を培うことが非常に重要であると指摘されました。
 2014年に学校図書館法が改正され、地方交付税の中に、学校司書を配置する経費が算入されることになりました。
 この経費は2校に1名の配置であり、あくまでも非正規職員を想定したもの、という不十分さはありますが、学校図書館に司書は必要であるということがナショナルミニマムとして公認された意味は非常に大きいとの山口先生の見解です。
 これをバネにして、学校図書館の変革を行うのは、自治体の役割であり、地方自治体の政策は国の政策よりも変えやすいはず、と続けました。

 各地からの報告の中で、新潟市が寺内の全校に168人の司書を配置するとともに、公立図書館との連携を深め、学校図書館に関する教育委員会の8課の連絡会議を設置し、学校図書館支援センターを4カ所設置しているという、中央図書館長さんのお話もありました。
 自治体が子どもが育っていくための学校図書館の役割を重要に思うかどうかで、施策が大きく変わることを改めて考えさせられました。

 山陽学園大学の永井悦重先生は、「学校司書の専門性とは何か」と題する問題提起の中で、「本を手渡す」「本との出会いをつくる」という、従来の認識から、「子どもたちの知る権利を保障する学校図書館の役割を果たす」というように学校図書館に対する認識が拡がっていることから、司書の役割を考えていかなければいけないという意味のことをおっしゃっていました。
 そして自らの教師としての体験、学校司書としての体験から、学校全体がこの「知る権利を保障する学校図書館」という認識を共有し、授業づくりにおいても貫かれていること、教師と司書との連携ができることが必要であるとおっしゃっていました。教師であれ司書であれ、「これが真実だということを教えこむ教育ではなく、どうすれば真実を求めることができるのかを学ばせること、という歴史学者東山茂樹氏の指摘をひきながら、そのことが「教えられる子ども」を「学ぶ子ども」へと育てていくことにつながっていくのではないかと提言。
 学校図書館の充実は、司書の配置についてどう取り組むかにかかっていることを再認識した研究会でした。
posted by ふくろう at 20:18| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月02日

子宮頸がんワクチン被害者連絡会の記事を訂正いたしました

 昨日の標記の記事のうち、私が記憶だけで綴ってしまった、被害者の方のコメントに誤解があったとのことで、削除いたしました。
 大変申し訳ありませんでした。
 ご本人と関係者の方に大変ご迷惑をおかけしてしまったことを、心からお詫び申し上げます。
posted by ふくろう at 09:46| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月01日

理解は広がってきたけれどー子宮頸がんワクチン被害

 昨日は、「子宮頸がんワクチン被害者連絡会埼玉支部」の第2回総会がありました。
 
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 昨年の立ち上げ総会を上回る方の参加がありました。
 うれしかったのは、埼玉県や、独自の被害者支援を決めたふじみ野市をはじめ、県内の自治体の担当者の方の参加があったことです。議員の方も、国会議員の代理の方や4人の県議、そして市町議員、しかも超党派の議員の参加が30名近くにのぼりました。

 副作用被害にあったのは、中学生・高校生といった、本来であれば青春の輝かしい時期を過ごしているはずのお嬢さんたちであり、同時に、自分の未来の可能性に心躍らせているお嬢さんたちです。
 まだまだワクチンと副作用の因果関係の究明も十分ではなく、そのため治療法も確立しておらず、激しい痛みや意識障害といった病状と戦いながら、自費での診療や、効果があるとされる治療法を求めて、遠方の医療機関への受診や入院といった負担を強いられている被害者の皆さんやご家族。
 2011年に接種が始まってからすでに4年が経過しています。さまざまな立場にある人たちが力を合わせて、救済、支援がさらに進むことを願わずにはいられません。

 今日の朝刊の広告に、ある雑誌の「子宮頸がんワクチン薬害「捏造」で若き女性が殺されている」というキャッチとともに、「世界中の専門家が『有効』『安全』と認める中、日本の女性は接種を受けずに死んでいく。予防医療三流国の愚かすぎる現実」というコピーがあるのに愕然としました。
 実際に接種禍で苦しんでいる少女たちの現状を知っても、そんなことが言えるのでしょうか。ワクチンというのは、他に予防の方法がなく、予防効果の有効性が確認できて初めて使うべきもの、という概念からすると、子宮頸がん予防ワクチンというのは、予防効果についての保証もなく、また、ワクチンを接種しても子宮頸がんの予防のためには、20歳を超えたら検診を受けることが必要とされているのは、明らかになっているはずです。
 しかも、子宮頸がんワクチンの罹患者数、死亡者数を見ても、製薬会社がワクチンの予防効果があるとした20代ではいずれもごくごく少数であることは、国の統計からも明らかです。
 疑問符だらけのワクチンの無料接種に財源をさくのか、20%台という他国に比べて一段と低い検診の受診率を上げることに財源を用いるのか、どちらが大切かは明白ではないかと思うのですが。

 
 
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2015年05月24日

今こそ、戦争させない・9条壊すな!の声を

 21日の夕刻から、毎週木曜日に予定される「許すな!戦争法案 戦争させない・9条壊すな!」国会前総がかり行動がスタートしました。

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 直前まで参議院議員会館にいたので、参加。

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 国会前には、衆議院第1議員会館前から参議院議員会館前まで、三重や四重に並ぶ人の列が続き、初回にも関わらず850人もの参加があったそうです。

 戦後70年の日本のありようが大きく転換するかも知れない十数本もの「戦争法案」を国会で審議しようというのに、あまりにも緊張感のない党首討論での答弁。思わず「ちゃんとしてよ!」とつっこみたくなる思い。
 この行動で、スピーチと明快なシュプレヒコールをしてくれたミュージシャンの方が「これから議場と路上で手を取り合おう」と議員会館に向かって呼びかけたように、一人ひとりがきちんとこの問題に向き合って行動するときが来ているようです。

 次回は28日の18時半ですが、これらの法案の審議入りが予定されている26日(火)は、12時に衆議院第2議員会館前の行動が行われるようです。
 この法案に関する行動とともに、辺野古新基地建設に抗する行動も予定されていますが、どちらも情勢によって刻々変化します。予定は下記のサイトでご確認ください。

http://www.anti-war.info/



posted by ふくろう at 06:23| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月23日

当たり前に思ったことを言い、普通に平和な生活を送りたい、ということが侵されていはしないか、という危機感

 21日は、まず、「福島原発告訴団」の院内集会に参加しました。
 今回の講演の講師は、何かとマスコミで取り上げられている古賀茂明さん、ということで、いつも満席の参議院議員会館の講堂には、それ以上の人たちが集まりました。

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 講演のタイトルは「原発なしても成長できる」というものでしたが、ご本人がしばしば発言されたように、原発問題に止まらない、現在の政治状況を快刀乱麻のようにバッサバッサと切り込んでいく古賀さん。

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 終始、笑い(苦笑)に包まれた会場の中で考えたこと。
 まず一つは、正しいことを正しいと主張しているだけでは人の心は動かないこと、古賀さんのお話が聞く人を惹きつけるのは、古賀さんの持っている力、性格のようなものでしょうが、それでも自分の主張を押しつけるだけではない話しの仕方を、考えていかなければ、と痛切に思いました。

 二つ目、私自身も、来年からの電力自由化に期待していますが、果たしてそれが本当に自分が望む電力会社の選択につながるのかどうか、さまざまなハードルがあると古賀さんはおっしゃっていました。電気事業者連合会、という摩訶不思議な団体の存在、そして再生エネルギーで発電している電力会社の偏在の問題、もちろん発送電の問題も含め、きちんと研究していかなければならないと、再認識させられました。

 古賀さんは今回、「改革はするが戦争はしない」というキャッチフレーズで「フォーラム4」というグループを立ち上げたそうです。「フォーラム4」の4は、
・第T象限 改革はするが、戦争もする
・第U象限 改革はしないが、戦争はする
・第V象限 改革はしないが、戦争もしない
・第W象限 改革はするが、戦争はしない
 この第W象限の基本理念を共有する市民の集まりのプラットフォームにし、それぞれの市民がさまざまな活動を広げて行こうとするものです。「当たり前に思ったことを言い、普通に平和な生活を楽しみたい」「けれど、そういう衛克が侵されつつあるという危機感を持っている」「社会を良くするために、できる範囲で動きたい」などの思いをもっている市民が多く集まることを想定しているとのことです。
 関心のある方は是非、ホームページをご覧ください。
 http://forum4.jp/
posted by ふくろう at 20:17| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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