梅雨時のシトシト雨の印象とはちがって、いきなり土砂降りではじまった、今年の梅雨入りです。土砂崩れなどの被害に遭われた地域ほどではありませんが、市内でも道路冠水の情報が流れてきましたが、今日はときどき晴れ間も見え、ちょっと一息つけるといいのですが−。
雨が似合う紫陽花の花が、どこへ行っても目につきます。今年はピンク系の花が視界に飛び込んでくることが多いのは気のせいでしょうか。
我が家の紫陽花は今年は一休みのようで、ポツポツ蕾が膨らみ初めてきたていどなので、写真はご近所さんの清楚な白の紫陽花です。
昨日は、午前の部、午後の部、夜と三連チャン。
午前中は、「市民活動を応援する会」が毎月1回設けている「ウィークエンドブランチ」に参加しました。何しろ、春日部に住む素敵な方を知ることができる機会なので、できるだけ予定があえば参加するようにしています。
23回目の今回は「農業なんて、全然知らなかったのよ!」と題して、庄和地域で無農薬のお米や野菜づくりをされている女性お二人のお話でした。
結婚して初めて農業に携わったというお二人、除草剤をまくとあっというまに雑草が消えることの不安、化学肥料を使うとあっという間にどんどん野菜が育ってしまうことへの疑問。これは農家で育たなかった、外部の目だからの気づきでしょうか。
子どもを育てる中で、仲間たちと学び合い、子どもたちを健康に育てるためには、環境が大事、水は土に染み込み、空気もまた人間だけでなく草木も吸い込んで、みんな循環しあいながら環境ができる、と実感して化学肥料や農薬を使わない農業を実践するためには、まず健康な土をつくることにいきあたったとのことです。
そして土に染みこむ水を、分解しない化学物質で汚さないための「EM石鹸づくり」と、次々に活動は広がり、人との関わりも広がっていったとのことでした。
「兼業農家だからできたんでしょうけれど」とおっしゃっていましたが、農業のプロである親世代と摩擦をおこさずに実践したきたのはきっと、お二人のお人柄だったのではないでしょうか。
除草剤を使わない田んぼの草取りは合鴨との共働作業です。地域の小・中学生もお二方の田んぼで合鴨農法の体験をしています。
またEM石鹸は、学校の手洗いだけでなく、トイレやプールの掃除でも大活躍しているとのこと。
地域の中でしっかり根を下ろして実践しているお二方の爽やかさに、学ばせていただきました。
これも我が家の近くにある馬頭観音さんです。よく見る馬頭観音さんは、雨風にさらされた自然石のようなものが多いのですが、この馬頭観音さんは新しい。どんな方々が大切に守り続けているのか、気になりますね。
午後は、ケアシステムわら細工の全体集会に参加しました。
1990年に、いろいろないきさつがあって誕生した障害を持つ人たちの生活ホームに、有料ボランティアの派遣を行うためにつくられた介助システムが「わら細工」です。
行政からの介助人の派遣が、とても24時間介助が必要な重い障害を持つ人の自立生活を支えられるものでなかった時代の、手作りのシステムでした。
それか24年がたち、「支援費制度」「障害者自立支援法」そして「障害者総合支援法」と制度はめまぐるしく変わりながら、「わら細工」が必要とされた個人個人の、自分なりの生活を支える制度は未だしで、制度の中の支援だけでは足りないところを補うためには、「わら細工」は存続しなければなりません。しかしながら、さまざまな議論がありながら、公的な介助を担う事業所としての「みなし事業所」という位置づけもあります。
そして昨年度から、制度の改定によって制度の中に組みこまれることがむずかしくなった、障害を持つ人の働く場、日中活動の場と合わせて、NPO法人を立ち上げ、法人の中の一事業部門となった「わら細工」。
いろんな矛盾を抱えながら、障害のある人の暮らしを支えるためにどうあるべきか、ぶれずに運営していくためにどうしたらいいのか、模索は続くのでしょうか。しかし、手探りのスタートから、ずっと模索し続けていたのではないでしょうか。
私はずっと外野のスタンスなので、偉そうにはいえませんが、ケアシステムが誕生するずっと前から、すでに30年以上の関わりである仲間達と、「ぼけたときにはね」などと老後の話をするようになった今、さまざまな思いが交錯するのです。
夜は、フリースクール「りんごの木」が運営する、自立援助ホーム「ゆらい」の運営委員会でした。
自立援助ホームは、18歳になっても生活する基盤をもてない若者たちが、一緒に暮らし、自立に向かって準備をするためのホームです。
開設して2年と3カ月、この間、20歳を過ぎて退所した若者が2人。そしてこれから退所するであろう若者も控えています。
入所している若者や、退所した若者たち1人ひとりのケースを検証していると、「ゆらい」のスタッフ以外の職場の方々や医療機関の皆さんなど、多くの人たちのラッキーな関わりがあることによって、自立に向けて進んでいけると実感できます。
それだけに、「ゆらい」にたどり着くまで、自分を受け入れてもらえる居場所のなかったこども時代の辛さに胸が締め付けられるような思いがします。そして「ゆらい」のような場にたどり着くことのない若者たちもきっと少なくないだろうということにも。
地域みんなで守り育てるというけれど、なかなかむずかしい課題を突きつけられながら、やっぱり目の前にいて腕を伸ばすと手と手が触れあう範囲のところからコツコツとつきあっていくことを大切にすることからしか、進めないのだと思うのです。