2015年12月12日

「仏つくって魂入れず」バリアフリー法の巻

 12月7日(月)、埼玉障害者市民ネットワーク代表の野島さんと一緒に、国土交通省に出かけました。
 DPI(障害者インターナショナル)日本会議が11月24日に国土交通省に出していた「バリアフリーの改善に関する要望書」の回答を聞くためです。

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 国土交通省からは、交通バリアフリー室長を筆頭に、安心生活政策課から6人、鉄道局から5人、自動車局旅客課から2人と総勢14人ものお歴々が並んだにもかかわらず、回答は相変わらず「今年度に実証実験に取り組む」「検討中」といったものばかりでした。今回の要望書は、2020年にオリンピックとともに開催されるパラリンピックに向けての施策も多かったのですが−。

 羽田空港や成田空港へのリムジンバスを100%バリアフリー車輌に、という要望については、平成32年度までに25%を目標としている、とのこと。
 新幹線やタクシーなどに、電動車椅子のまま乗車可能にすることも、導入の見込みがないようですし、在来線車輌でも、車椅子やベビーカーの利用客が乗車できるフリースペースは、まだまだすべての車輌に設けられていません。
 バリアフリー法によっって、かなりの駅のエレベーターの設置が進められたものの、一日の乗降客数が100万人を越す駅でも1機しか設置されていない、ということもあります。
 よほど頻繁に公共交通機関を利用し、駅の構内に精通している人以外は不便な状態が解消されていない状態で、内外から訪れるハンディキャップのある人たちが支障なく移動できる環境が整っていないと言わざるを得ないようです。

 最近、合理化の嵐の中で、無人駅が増えてきています。段差の解消も不十分で、かつ、ホームと電車の車輌の間に大きな隙間がある現状で、無人駅で車椅子利用者などが乗り降りするのは不可能でしょう。
 その対応についての回答で、「2.3日前に連絡していただければ、係が待機するようにしたい」とあったのには絶句です。ハンディがあっても、支障なく移動できるように、というのが交通バリアフリーの柱であるはずなのに、行きたいところに行くのにこんなに制限がある状況をそのままにしておく、というよりも加速させているということに、疑問を感じないのでしょうか。
 
posted by ふくろう at 15:17| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月06日

市民活動をつなげていくために

 昨日5日と、本日6日の2日間にわかって、「春日部市市民活動センター・ぽぽら春日部」オープン4周年記念イベントが開催されました。
 参加団体は39にものぼりましたが、今年は抽選で参加団体を絞り込むのではなく、会議室などは何団体かで分け合って、という形で、会場の設定そのものも、市民団体同士の交流の場になるように、という企画で進められました。

 さて、2日間、市民活動を広く一般の方々にも知っていただくために、各団体とも知恵を絞って活動内容の紹介等を展示したり実演したりしていました。
 残念ながら、団体の知り合いの方以外の一般の参加者はどのくらいいらしたのだろうか、という印象でしたが、活動する団体同士の交流はそれなりにはかられていたように思います。

 私は、はじめて独自に「高齢者虐待を未然に防ぐRJ実践研究会」のブースをもたせていただきました。展示でRJ(Restorateve Justice)ー修復的司法・修復的正義などと訳されている対話の方法です。
 この対話が初めて取り組まれたカナダでは、少年犯罪について、司法で裁くのではなく対話によって解決する取組からスタートしましたが、その後世界各地で、紛争解決の方法として取り入れられたりしています。
 日本では、学校でのいじめ問題の解決や、犯罪被害者・加害者、両者の救済の方法としても取り組まれていますが、その対話によって高齢者の虐待問題の解決につなげていきたいと、県立大学の梅崎先生が取り組まれています。

 もちろん、問題解決の対話については、慎重に進めていかなければなりませんが、この対話を、家庭の中での諍いや地域社会の中の種々のトラブルなどの課題について実践することによって、人間関係の築き直しのきっかけになることが実践の結果分かってきています。
 それを地域の中で一緒に取り組んでいきたいと、現在、対話のサークルキーパーを養成するための講座を、越谷市と春日部市で行っています。
 まだまだ認知度の低い、この活動を少しでも知ってもらえれば、と参加しました。

 実際に、共感して参加してくださる方がどのくらいいらっしゃるのかは分かりませんが、同じような思いで地域活動に取り組んでいる皆さんと情報交換できたことはとてもうれしいことでした。

 さて、昨日の午後は、「若者が世界を変える」というタイトルで、学校を飛び出してさまざまな活動を体験している共栄大学の学生さんの取組について、学生さんと国際経営学部の会計ファイナンスコース長、木村正彦先生の発表がありました。

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 そのお話の中で驚いたのは「ツール・ド・フランスさいたまクリテリウム」が、実は「学生政策提案フォーラムinさいたま」に共栄大学の学生が提案し、採用された、ということでした。
 世界の三大スポーツイベントとされるツール・ド・フランスを、日本で、しかもいかに政令市といえども一地方都市で開催? できっこないと思われそうなこの提案を、いかにしてさいたま市は採用し、成功にこぎつけたのか−。
 疑問に思って質疑・応答の時間にお訪ねしたところ、
「行政・議会・市民、みんなの意識の問題でしょう」
 との耳の痛いお言葉がかえってきました。「できっこない」とあきらめずに、どうやったら実現できるのか、という意識で取り組んでいく、そういう覚悟とバックアップ態勢があってこそ、若者の感性を生かしていけるのだと納得しました。
 ひるがえって、春日部市の「学生による政策提言」はどうでしょう。
 これは行政や議会だけでなく、市民力の問題でもあるのだと、思っています。
posted by ふくろう at 20:19| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月28日

神様の仕事に脱帽

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 玄関先の隅っこに、小鳥が植えていってくれた南天の葉が一枚、紅葉していました。
 今年は、桜も欅も、満天星も、なんだか紅葉仕切らないうちにハラハラと散っているような、ちょっともの足りない秋でした。庭のいろは紅葉もまだ紅葉していません。それだけに、(写真ではそれほどでもありませんが)、この一枚の葉っぱに息をのむ思いがしました。

 先週の体験です。
 検診でひっかかり、大腸癌検査をするように指示がありました。
 検査そのものは、感激的でした。団地内に新しくできた病院の若い爽やかな消化器外科の担当医の、ユーモアあふれる声かけを聞きながら、カメラのいく先々の自分の大腸を見て、感動! こんなに神秘的なシーンはめったにみることができません。そして、綺麗なピンク色をしていてヒダヒダのある大腸に、たくさんの血管がはりめぐされていて、よくもまあ、67年間も働いてくれたものだと、感謝したいほどの気持ちでした。
 お医者さんによれば、「まだ若いからね」とのことですが、検査対象の中では若い部類に入るのでしょうか。
 私、ちっとも腹黒くないじゃん! あ、腹部には大腸以外の臓器もあるんでしたね。

 昔、「ミクロの決死隊」という映画を見たときの感動を思い出しました。SFの世界かと思ったら、今は内視鏡という決死隊が、もう自分の体の中を見せてくれる時代なのだと、改めて感服です。

 神様って、とっても精巧な仕事をしてくださるのですね。改めて、体を労らなければ、と思ったものです。

 しかし、しかし−、のど元過ぎれば−。大量の下剤で強制的に大腸を洗い、その後、ちっちゃなちっちゃなポリープをとったので、絶食プラス点滴。
 当然、体力が落ちているはずなのに、自分の体力を過信して、退院直後の午後から仕事に追われていたため、どうもそのつけが回ってきています。

 月曜日を過ぎたら一段落なので、しばらく養生しつつ過ごさなければ、と思っています。
posted by ふくろう at 16:45| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月02日

発達障害とされる人たちは、世の中の歪みをしらせてくれているのかも

 昨日は、「NPO法人越谷らるご」の講演会、「小児科医から見た不登校・ひきこもり」「に参加しました。
 お話下さったのは、福井県こども療育センターの小児科医坂後恒久さんです。

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 正直、坂後さんの講演の中心であった「理解を深め、支援をすすめる自閉スペクトラム」と題する発達障害に関する専門的なお話については、もっともっと資料を読み込んで、消化しなければ、と思っていますが、冒頭、
「発達障害、とされる子どもたちは、実はとても繊細で、繊細さ故に世の中の歪みなどを敏感にキャッチしているのでは」
 とおっしゃったことが心に残りました。
 発達障害とされる人たちだけでなく、知的障害、あるいは精神障害とされる人々と接していると、言葉で言いくるめてもこちらの感情を見透かされている、と感じることがよくあります。
 不登校やひきこもりとなった子どもや若者たちは何故に身動きできなくなっているのか、その原因を一緒に考えるとともに、そのような人たちが安心して、この世の中は安全なんだと感じていけるために、どうしたらいいのか、考えていきたいと思っています。

 フリースクールや生きづらさを抱えている若者の居場所、家庭で暮らすことが困難な15歳から20歳までの子どもの自立をサポートする「自立援助ホーム」などを運営したきた越谷らるごは、この旅埼玉県の「ひきこもり相談サポートセンター」の運営の委託を受けることになりました。
 詳しくはhttp://k-largo.org/をご覧ください。
posted by ふくろう at 19:30| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月21日

一気にタイムスリップ

 秋田の兄から電話があり、しばらく無人になっていた実家をそろそろ取り壊すことになったとのこと。そこで、父の蔵書の処分について、学術的なものは教え子の皆さんが整理して下さるとのことですが、それ以外でほしいものがあったら送る、とのこと。
 と言われても、どんな本があったのか記憶はほとんどありません。思い出したのが、平凡社の「月刊太陽」のバックナンバーが揃っていたはず、ということ。「だいぶ傷んでるかも知れない」とのことでしたが、読めるものだけでももう一度読んでみたいと頼みました。

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 揃っていたのは1966年の創刊号から、1981年の227まで、休刊になるまで400号以上出ていたはずですが、最後の年号を見ると、父が退職し、気力もなくなって購読をやめたように思われます。
 テーブルに並べて、ちょっと後悔。これだけの雑誌をどこに並べればいいの!

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 昨年の第一次断舎利で書類を片付け、孫たちのおもちゃ置き場になったいたところを片付けると、なんとか収まりました。
 興味・関心のある方、いつでもいらしてください。「カフェ太陽」でお待ちします。

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 もう一つ。愛蔵版の漱石全集もあったら、と言ったところ一緒に送ってくれました。漱石全集が出るたびに買い求めていた父が、最後に購入したもののはずで、1965年発行とありました。さすがに昔の本作りはていねいで(もっとも愛蔵版と銘打っているのですから当然ですが)、表紙もセロファンで包み、箱もセロファンで包んでいるため、50年の年月を感じさせないほどきれいです。
 昨年たたんだ会社の書類を整理し、唯一のガラス戸付きの本箱に収めました。ついでに、両親と働く母の代わりに面倒をみてくれた祖母の遺影も本の前に置いて、なんだか実家で過ごした日々が甦ってきました。



posted by ふくろう at 10:32| 埼玉 ☔| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月19日

出会いと交流も、わらじの会大バザー 階間見える? 大バザー

 昨日は、わらじの会、年間3大イベントの一つ、大バザーでした。年1回の開催で、今年度が38回目、ということは、私たち初期からのメンバーも、確実に38歳年齢を重ねているわけです。
 でも大丈夫、二世メンバーももう中年世代、そして若い職員さんもボランティアさんも昔に比べて格段に増えています。
 私などはほんの少ししかお手伝いできていませんが、皆さんのがんばりに敬意を表して報告を。

 バザー前日。

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 2か月ほど前から、皆さんの善意で寄せられた献品を集め、仕分けして値付けし、ダンボールに納めて各活動の場に保管する、という作業をしてきたのですが、前日はその運び出し。バケツリレー方式で、総動員した会のワゴン車や軽トラックに積み込み、会場の武里団地の近隣公園に運ぶ、という作業が延々と続きます。
 会場では売り場の設営も進められています。あいにくの曇り空。雨が降りませんようにと、祈るような思いで、雨が降っても大丈夫なように、品物の入ったダンボールを台の上に並べられたコンパネの上に積んでいく作業も進んでいきます。

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 くらしセンターの食堂では、準備作業をしている人たちの昼食、100食のおにぎりも次々とできていきます。

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 何が何でも当日は晴らす! わらじの会のジンクス通り、晴れ上がった朝8時から、各売り場の本格的な売り場つくりが始まります。
 泊まり込みで荷物の番人をしてくださった若手メンバーさん、お疲れさま! 今年は夜通し、どんな交流が生まれたでしょうか。

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 バザー開始からすでに3時間近く、まだまだ客足は途切れません。
 私の持ち場は「高級衣料」。少しでも多くの方にお買い上げいただきたいと、今年は例年よりも低めの値段設定をしました。いつもだったら3000円、5000円という値もついた、高級なウールのコートやダウンコートも、2000円止まりです。高級品は虫に食われやすく、保管がむずかしいため、折角献品いただいた志を無駄にしてしまうのは申し訳ないー、という思いもあります。

 それでも、いつもの年よりもお客さんが少ないような気がしました。団地の高齢化も影響しているのでしょうか。若向きの品があまり売れませんでした。

 結果的には昨年以上の売上があったようですが、残った衣類などは大池通りのリサイクルショップで販売されます。是非是非、バザーにお越しいただけなかった方はご利用のほど、お願い申し上げます。


posted by ふくろう at 17:04| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月16日

第1保育所の解体工事がはじまりました

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 4人の子どもたちが育った保育所です。
 武里団地ができてすぐに開設された保育所なので、もう築50年近くになるのでしょうか。この保育所は3歳以上児だけの保育所だったので、その後3歳未満児を受け入れる第2保育所ができ、4人の子どもたちを預けに第2、第1合わせて16年通いました。末っ子がすでに30歳−。

 この16年間で、さまざまな人とのつながりが生まれました。子どもたちもこの保育所、そしてその後の学童保育所の中で、たくさんの友だちや、自分の親以外の自分を見守ってくれるたくさんの大人たちの中で育ったように思います。

 老朽化に伴う建てかえで、旧第2保育所の敷地に第1・第2保育所を統合して新たな保育所が誕生し、第1保育所はその役目を終え、解体となったのです。

 私の議員としての終盤にこの建て替え問題が起こり、不要となった第1保育所の建物は是非、武里地区の親子の集う、子育て支援の場として有効活用を、と求めてきましたが、ここの敷地は団地のオーナーであるUR(土都市再生機構)から、保育所用地として無償で貸与されているため、目的外の使用はできない、と言われました。
 でも−、高齢化が進む武里団地。耐震診断の結果、住み替えが進められて空き住居が増え、その後新規の入居募集が再開しました。老朽化が進む団地ですが、子育て支援が充実していれば、リノベーションを待つだけでなく、若い世代の入居も増えるのではないかと思います。
 それだけでなく、子どもたちをとりまくさまざまな問題に、地域ぐるみで取り組むことが求められている今だからこそ、子育て世代が集い、お互いに情報交換しながら、自分たちに必要な子育て支援を進めていくコアとなる可能性も秘めていると思うのです。
 行政がなんでもかんでも担うのではなく、地域のさまざまな人たちが関わってそのようなネットワークをつくっていくためには場が必要なのに−。
 進む解体工事をみるたびに、なんだか無念な気持ちになります。
posted by ふくろう at 11:53| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月11日

がんばれ青虫君 がんばれ!青虫君!

 10月6日、郵便受けの裏に、揚羽の幼虫を発見しました。こんなに秋が深まる季節に?しかも、体長2センチほどの丸々太ってはいるけれど、小さな小さな青虫君です。

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 翌日の7日には体を丸めはじめました。

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 さらに翌8日、強い風にも負けず、壁にしっかりくっついています。お尻から糸を出し始めているのでしょうか。体は蛹になる準備か、ますます小さくなっています。

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 そして本日の朝、体が小さく、小さくなり、頭をグンとそらしています。色も徐々に茶色になってきました。

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 夕方帰宅して様子を見ると、もう蛹ですね。糸を見ていただきたかったので、拡大しましたが、本当に小さくなっています。
 
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 それにしても、寒さに向かうこの季節、羽化には2〜3週間かかるようですが、蝶になったあとが少し心配です。

 
posted by ふくろう at 18:08| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月04日

1奧総活躍という前に、活躍したくても身動きでず立ちすくんでいる人たちの支援を

 最近、face bookへの投稿ばかりで、ブログの書き込みが滞っていて、ときどき「最近更新してないの?」とのお声掛けをいただきます。ごめんなさい。なぜか、ブログとface bookの情報共有はうまくいかなくなってしまっています。

 で、本日は、FBのちょっと前の書き込みを。

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 9月の最終日の落日は、すっかり秋のものに変わった雲を茜色に染めています。
 このところ、「自立援助ホーム」の若者たち・巣立っていった若者たちや、「生活困窮者」と言われる人たちの支援の問題点、といったとてもとても重い問題と向き合うことが続きました。
 国の舵取りをしている人は「1億総活躍時代」というアドバルーンを、高々と掲げました。
 活躍したくても身動きできない人たちがこれだけいる現状の中で、どうやってすべての国民が活躍する時代をつくろうとしているのでしょうか。具体的な道筋を示してください。
 政治の役割は弱い立場の人たちを救い、支えること、と教えられてきました。
 しかし、いつしか、税収が上がらなければ福祉は充実できない、と言われるようになりました。そうやって進めてきた経済政策が格差を広げ、「自己責任論」が横行する中で、もがいてももがいてもはばたけない人たちが増えています。
 株価を上げることに血道を上げても、決して多くの国民の暮らしがよくなるわけではないことを、今こそきちんと見直してほしいと思うのです。
 隣人が辛い思いをしたり、苦しい状況を抱えたりしている中で、自分だけが幸せだと思えない、そんな社会を求めることはできないのでしょうか。
 
posted by ふくろう at 17:39| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月15日

4万人以上の人波の中で考えたこと

 昨夜の国会前行動。
 いつものように、一駅前の霞ヶ関から国会前に向かいました。

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 国会前交差点は、6時前だというのに異常な光景が広がっていました。歩道の脇にはびっしりと機動隊員が並び、信号が青に変わって少したつと「渡った先にたくさんの人がいて危ないので、渡らないでください」と信号を渡る人を規制しています。国会前の道路の歩道は、すでにたくさんの人で埋まっているようです。
 ようやく信号を越えて、人の波に加わって少しずつ正門前に進むと、歩道の脇には8月30日とは比べものにならないほど頑丈なバリケードが、ロープでしっかりくくられて並んでいます。これ以上人が増えたら危険、それ故の横断規制なのでしょうか。だったらバリケードを撤去すればいいだけのことのように思います。
 自分たちのこれからを左右する重要な法律が強行採決されるかも知れない、という危機感で異議申し立てを行うために来ている人たちの行動の自由をなんの権利で縛るのか。公共のために、というけれど、参加者から口々に、「もう車はほとんど通っていないじゃないか」、「バリケードを開けろ」と抗議の声が飛び交います。6時半の集会がはじまるころには、車道の両側にびっしりと装甲車が並びはじめました。
 「なんのために、誰を守ろうとしているの?」目の前の機動隊員の方々に聞いても、もちろんノーコメントです。「危ないですから押さないで」を繰り返すばかりですが、人がたくさん集まって飽和状態になったら押されるのは当然です。

 朝のニュースの一場面が頭をよぎります。ヨーロッパで、難民受け容れの拡大に対して賛否各々を表明する人々のデモの列は、車道いっぱいに広がって動いていました。なぜ日本ではデモの動きを規制しようとするのか。

 やがて、危険を感じた人々の手によってバリケードは横倒しになり、どっと車道に人々が流れていきました。止めるのはかえって危ないと判断したのでしょうか。拘束された人が1人もいなかったのは(今のところその情報は流れていません)幸いでした。

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 たくさんののぼりやプラカード、そしてペンライトなどの光の輪と、思い思いのシュプレヒコールが交錯する向こうに聳える国会議事堂の中では、有権者1人ひとりの投票によって選ばれた「私たちの代表」とされる人たちは、どんな思いでこの法案の審議に当たっていることでしょう。
 昨日の特別委員会の審議を見ていて、なんともやりきれない思いがしました。
 大野議員のPKO法改正案に対する質疑については、防衛大臣も外務大臣もまともに正面から受け止めた答弁をすることはありませんでした。「何のために法律改訂が必要なのか」それすらまともに説明できない法案を、なぜ提案するのでしょう。
 それにもまして驚いたのは、「米軍等の武器等の防護」についての運用については、法律が成立した後に決めるという答弁が飛び出したこと。法律さえ通してくれれば、あとはこちらが総合的な判断で運用するからね、とうのでは、なんのための国会審議なのでしょう。
 与党の国会議員の皆さんも、立法の府である国会の議員という自らの存在意義がこれほど軽んじられいることを、しっかり受け止めてほしいものです。

 「誰が議員になっても同じ」という有権者の気持ちには根強いものがあります。本来であれば立法府が法律をつくり、行政はそれを忠実に執行する立場であるはずなのに、いつまでも政府・内閣が物事を決めるために議会はそれを追認する存在に成り下がっている、これは地方議会に身をおいた者として、信じられない現実であり、突き崩せない壁でもありました。

 だからこそ、この法案の行方の先に、私たちは本来の「主権在民」という民主主義の基本を実現していくための戦いの必要性をみつめて行動しつづけなければならない、切実に感じた夜でした。

posted by ふくろう at 13:55| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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