2015年07月09日

学校の主人公はこどもたち、のはずなのに

 またもや、悲しい事件が起こってしまいました。
 岩手県の中学2年生が、いじめに苦しんで自殺の道を選んでしまったという事件について、さまざまなメディアがさまざまな報道をしています。
 このような重大な事件で、しかも人の命に関する問題で、さらに、詳しい事情を知らない私が何か発言することは、慎みたいと思っています。
 しかし、今回は、報道の中のさまざまなコメントに違和感を覚えたので、書き込むことにしました。

 いろんな方のコメントの中で、教育評論家の尾木直樹さんが、私の思いに近いと感じました。生活記録のやりとりに触れ、「この担任のコメントは、教師という立場からの上から目線」というような意味をおっしゃっていたことです。
 今、担任の先生が自責の念にかられているだろうことを思うと、追い打ちをかけるようなことをしてはいけないと思いつつ、個人の問題だけでなく、今の学校現場のひずみがこの事件の奥底に潜んでいるような気がしてならないのです。

 学校というのは、一方的に教師から教わる場、だけでなく、子ども同士が育ち合う場でもあるはずです。いじめの問題が起こったとき、なぜそんなことになるのか、徹底的にいじめる側の子どもたちの思いや胸の内を聞く姿勢はあったのでしょうか。いじめている子たちに対して、「してはいけないこと」と反省を求める、いわゆる指導だけが行われていることがままあるのではないでしょうか。その場合、いじめは止まないばかりか、先生や大人の目を盗んで陰湿になったり、学校の場を離れて行われたりするのではないでしょうか。
 先生という立場の上から目線で指導するのではなく、子どもの隣る人≠ニして思いや心の叫びを聞き取る姿勢をもっていれば−、と思わずにはいられません。

 今回の事件で自らの命を断った生徒の傷ましさはいうまでもありませんが、この学校の対応で多くの子どもたちが、自分たちが友人の命を奪ってしまったという取り返しのつかない悔いを抱えることになってしまったこともまた、あまりにも無残です。

 学校という場が、本当に子どもたちが健やかに育っていく場であるために何が求められているのか、真剣に考える必要がありはしないでしょうか。
posted by ふくろう at 16:53| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月05日

改めて30年の時間を噛みしめてー車椅子に乗って独り暮らし30年・野島さんのお話

 昨日は、春日部まちづくり応援団が毎月一回開いているウィークエンドブランチに参加しました。
 今回のゲストは、わらじの会の仲間、野島久美子さんです。

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 1歳のときのケガで障害を負った野島さんは、養護学校卒業後、自立のために中伊豆の施設に入ったものの、毎日富士山を眺める暮らしがいやになって一度自宅に戻りました。しかし、電動車椅子が手に入るまでの3年あまりは自宅に閉じこもる暮らし−。
 やっと車椅子で外出できるようになったものの、家庭の事情でご両親が自宅を手放すことになり、施設への入居を強要され、着の身着のままで家出してわらじの会へ。27歳のときのことです。

 以来、日常生活の大部分で介助の手を借りながら、独り暮らしをしています。

 改めてその30年間の歴史をたどるお話を聞きながら、時間の重みを感じていました。

 野島さんの独り暮らしからほどなく、重度の障害をもつ人たちが親元を離れて暮らすための生活ホームができ、その人たちの暮らしを支えるために、まだまだ制度がほとんど無かったため有料の介助システムを立ち上げました。現在そのシステムに加わっているメンバーは220人ほど。国の障害者支援制度はめまぐるしく変わり、それでも国の制度だけでは24時間介助が必要な人の暮らしを支えていくことはできません。
 資格・年齢を問わず、自分ができることを、障害を持つ人の求めに応じて支援していく自前のシステムは、同時に地域の人々のつながりを紡いでいく場ともなっています。

 だれかが行動し、声をあげ、それに共鳴する人たちがいて、地域ができていく、その中で私も支えられて生きてきたことを再認識しました。
 お話の後、「それでもやっぱり障害を持つ人とどう接していいか分からない」という率直な感想を聞きました。つき合ったことがない人にとっては、そう思うのは本当だと思うのです。でも、近くにいる障害を持つ人とつき合ってみると、そんなことは杞憂だったと、きっと思うのではないでしょうか。
 そして、ちょっと日常生活のテンポがちがう障害を持つ人との時間の中で、いつもとは違うゆったりした時間の流れを味わうことができるような気がしています。
posted by ふくろう at 19:27| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月22日

なんか変、という思いを大事にしながら歩んでいかなければ

 昨日は、久しぶりにハードな日曜日でした。
 まず、午後は、「SEIJI を市民に取り戻そう」 と名付けられた「みずほと一緒に国会へ行こう in 埼玉」結成イベントに参加。呼びかけ人に旧知の人たちの名前がズラリ−。
 福島みずほさんは、故土井たか子さんが呼びかけた「市民との絆」、そして女性議員を増やそうと開かれた「女性の政治スクール」以来のもう15年以上のおつきあいがあり、私が市議会議員となったきっかけとなった存在でもあります。
 それ以上に、政治的な課題で開かれる集会や行動のほとんどでその姿を見かけ、お話を聞く、今の政治状況の中ではなくてはならない国会議員であることは確かです。
 昨日のお話を聞いて、ますますそう思いましたが、さて、みずほさんが昨日話されていたように、「ちょっと変」から「何か変」、そして「すごーく変」と思いその「変」を変えて行くうねりをつくるためには、個々の国会議員の力量だけでなく、もっと変だと思う人を束ねていく政治勢力がなければならないのでは−、この政治情勢の中でいろんな人から聞く声です。
 それをどうしていくか。
 講演会が終わったあと、久しぶりに顔を合わせた昔からの仲間たちとそんなことを語り合いました。さて、衆議院の解散がなければ、最も近い国政選挙、参議院議員選挙まで1年となりました。
 その後、ホームレス支援を中心にしながら種々の貧困問題に取り組んでい「ほっとプラス」主宰の講演会「生活困窮者支援の過去と未来」に参加しました。
 記念講演は、「年越し派遣村」で知られるようになった「NPO法人自立生活サポートセンターもやい」の稲葉剛さんです。
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 稲葉さんの1枚目の写真は新宿駅西口地下の「ダンボール村」の光景です。稲葉さんがこの活動に携わるきっかけとなったのはこのダンボール村で、そこで、路上で人が死ぬ、という現実に直面して夜回りなどの活動をはじめたのがスタートだったというお話から、あの頃新宿駅でみたダンボール村の光景がくっきりと浮かんできました。
 
 初期のころは、ドヤ街の人たちが仕事を失い、ドヤにも住めなくなって生まれたテント村、そこでは仕事にありついた人がその稼ぎで食糧を買って分け合ったという、支え合った生きているという現実があったそうです。
 それが都庁の建設によって排除されるー。
 そうして排除された人々は、場所を変えてダンボールやブルーシートで住まいをつくり、ホームレスと言われる人々がいろんな場所で目につくようになりました。
 稲葉さんたちは、そんな状況の中から発言し続け、働きかけ続け、ホームレス支援法の制定に一役かったりしてきました。しかし、実情はどうでしょう。

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 続いて稲葉さんと対談したほっとプラスの藤田孝典さんが、社会福祉に関心をもったきっかけが、話しをしたホームレスの方が、実はそれまではサラリーマンをして、家庭をもっていたことを知り、衝撃を受けたことだったと聞いたように思います。
 ダンボール村のときは比較的特殊な人たちの問題だった貧困、それがそれとは縁がないと思っていた人たちがある日突然、リストラなどで職を失い、さらに支えを失ってホームレスになり、現代は若い世代がホームレスになるというように、貧困・生きづらさは広がってきているのです。
 藤田さんが最近取り上げることが多い、高齢者の貧困問題。近著の「下流老人」では「年収400万でも将来生活保護レベルの暮らしに?」というショッキングな指摘をしています。今や人ごとではない貧困。そういう時代をどう支え合って生きていくのか、藤田さんが言っていたように、「生活困窮者自立支援法」の元でさまざまな制度が整えられていったとしても、その制度の中で専門職が支援しようとする落とし穴によって、支えられない困窮者を生み出さないために、今まで、民間やボランティアの人たちの力で築き上げられてきた支援の中身からじっくり学んでいかなければ、と思いました。
 それと同時に、こんなに「貧困層」を生み出す社会、そのものについても向き合っていかなければならないと思います。
posted by ふくろう at 20:11| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月16日

戦争できる国にするかどうかは、私たち1人ひとりの覚悟と選択の問題

 一昨日は、「戦争させない・9条壊すな! 総がかり行動」の国会包囲行動に参加しました。(どうしてもFace bookに投稿してブログが後回しに。お許しを)

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 先日の辺野古基地建設反対を上回る人、人、人の波。すでに、地下鉄の駅でなかなか地上に出られない状態でした。写真は国会正門前ですが、反対側も同じように人の波です。

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 昨日は2万5000人もの人たちが国会を包囲したようですが、「集団的自衛権は合憲、という憲法学者はたくさんいる」と言っておきながら、結局3人しか名前を挙げられないことを突っ込まれて「数の問題ではない」とキレてしまった菅官房長官は、「数の問題ではない」というのか、「2万5000人なんて全国民からみたら少数派」というのか、一度聞いてみたいものです。
 私は、久しぶりに「緑の党」の旗の下で行動しました。スタッフ手作りのボードが素敵で、掲げさせてもらいました。

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 メッセージは、
「私たちは望む
 誰とも戦わないことを
 戦争しない約束を
 永久に」
 伊勢崎賢治さんたちが言っているように、憲法9条を持つ日本だからこそとれていたスタンスは、とても大事なもので、やっぱりそれがあってこその70年間の平和なのだと、改めて思います。そして今、それをかなぐり捨てなければならない理由は、どこを見てもないように思います。
 さらに、戦争できる国にするかどうかは、国会議員が声高に「国会で決めること」といくら叫んでも、私たち国民1人ひとりが決断することなのです。
 2万5000人の数をどうとらえようと、それだけは変わらないことをしっかり胸の底において、行動していこうと思います。私は非力だけれど、無力ではない!
 国会包囲行動に引き続き行なわれた渋谷の若者デモも、宮下公園に入りきれない程の人が集まったようです。報道によると6000人とのこと。安堵感を覚えるニュースです。
posted by ふくろう at 10:58| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月08日

子どもの問題は大人の問題ーフリースクール25周年パーティー

 昨日は、フリースクールりんごの木や、自立援助ホーム「ゆらい」を運営するNPO法人越谷らるごの総会がありました。
 その後、フリースクールりんごの木の25周年記念パーティーが行われました。

 もう25年。私とらるごの関係は、我が家の子どもたちがお世話になった「遊学舎」という塾の一室が、不登校の子たちのたまり場になったときからのことですから、早30年近い年月が流れたことになります。
 そのころ仕事をしていた教育関係の雑誌で「不登校」の問題を取り上げることがあったことも、関心をもつようになった一因です。
 余談ですが、そのころご指導いただいた保坂展人さんは今や世田谷区長になり、そして当時はまだ現職の教師をされていた尾木直樹先生は今や「尾木ママ」として大活躍されています。

 この時の流れの中で、本人や家庭の問題と批判の対象となりがちであった「不登校」(登校拒否という呼び方もされていました)も、大分世間の見る目が変わってきました。現在の国会に、「子どもたちの多様な学び方」についての法案が提案される予定で、これでフリースクールや家庭で学ぶことが認められ、財源も当てられる公算が大きくなってきたことは、朗報です。

 多様な学び方を心底認められるのか、子どもたちの「自分はこんなところで、こんな学びをしたい」という選択をきちんと受け止めることができるのか、そこにかかってくるように思います。

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 パーティーの第1部は、スクール生の先輩たちのパネルディスカッションでした。
 話してくれたのは、現在30歳になった消防士の若者、19歳で絵を描き続けている若者と同じく19歳のデザインの勉強をしている若者の3人でした。写真もOKとのことで、その素敵な表情も見ていただきたかったのですが、拡散が怖いので登壇前のスナップです。

 若者たちが言っていたこと。
「りんごの木で過ごしたときは、24時間365日、自由があった。多分、一生の中でこんな時代はなかなか送れないだろう」
「大学に行こうと思ったとき、果たして大学の勉強についていけるのか、という不安はあったけれど、入ってみたら、ふつうに小・中・高校で学んできた友だちと何の変わりもなくやっている」
「こうしなければいけない、という思い込みよりも、なんとかなるさ≠ニ思ってチャレンジする方が楽しい」
 etc.
 別の話になりますが、「自分のことは自分で決める」ことを大事にしている自由な校風の学校で、「自分のことを自分で決める」むずかしさに挫折しそうになる生徒の姿をみたものです。自由ってそれだけ大変なことなのに、それを大変と思わずに自分の生き方を切り拓いていこうとしているまぶしいほどの若者たち。それを可能にしたのは、迷いながらも我が子を受け止めてきた家族や、その子のありのままを受け止めてきたスクールの友だちやスタッフの皆さんの存在があったのだと思います。

 大ヒットとなった「レディーゴー」、ありのままで。フリースクール生だけでなく、障害のある子たち、認知機能の衰えたご高齢の方などなど、ありのままのその人の存在を受け容れることは大変な面もあるかも知れませんが、それこそが人間関係の第一歩であると思える人たちとつくる地域は素敵だと改めて思った1日でした。
posted by ふくろう at 09:18| 埼玉 ☔| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月07日

学校図書館司書が市民権を得たといっても

 昨日は、「学校図書館を考える全国集会」に参加しました。

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 会場となった日本図書館協会の研修室には、学校図書館の充実のための運動を長年続けてきた「学校図書館を考える全国連絡会」に加盟する全国の団体の会員をはじめ、100人近い方々の参加がありました。

 まず、東京学芸大学の山口源治郎先生の「現代教育改革の中の学校図書館」というテーマの記念講演がありました。
 山口先生は、最近の教育改革の問題点を挙げながら、子どもたちの読書や学校図書館に関する政策について、
2001年に「子ども読書活動推進法」が制定されてから、国は、三度にわたって「子ども読書活動推進計画」を策定してきたこと、さらに、学校図書館整備計画も1997年に策定されたことについて解説してくださいました。
 これは国際的な学力テストにおける日本の成績不振により、グローバルな人材育成のための学力向上を目指す一環として、読書活動の推進が掲げられたとのこと。しかし、目的はともかく、読書活動を推進し、学校図書館の充実をはかることで、子どもたち自身の中に、考え、探究する力を培うことが非常に重要であると指摘されました。
 2014年に学校図書館法が改正され、地方交付税の中に、学校司書を配置する経費が算入されることになりました。
 この経費は2校に1名の配置であり、あくまでも非正規職員を想定したもの、という不十分さはありますが、学校図書館に司書は必要であるということがナショナルミニマムとして公認された意味は非常に大きいとの山口先生の見解です。
 これをバネにして、学校図書館の変革を行うのは、自治体の役割であり、地方自治体の政策は国の政策よりも変えやすいはず、と続けました。

 各地からの報告の中で、新潟市が寺内の全校に168人の司書を配置するとともに、公立図書館との連携を深め、学校図書館に関する教育委員会の8課の連絡会議を設置し、学校図書館支援センターを4カ所設置しているという、中央図書館長さんのお話もありました。
 自治体が子どもが育っていくための学校図書館の役割を重要に思うかどうかで、施策が大きく変わることを改めて考えさせられました。

 山陽学園大学の永井悦重先生は、「学校司書の専門性とは何か」と題する問題提起の中で、「本を手渡す」「本との出会いをつくる」という、従来の認識から、「子どもたちの知る権利を保障する学校図書館の役割を果たす」というように学校図書館に対する認識が拡がっていることから、司書の役割を考えていかなければいけないという意味のことをおっしゃっていました。
 そして自らの教師としての体験、学校司書としての体験から、学校全体がこの「知る権利を保障する学校図書館」という認識を共有し、授業づくりにおいても貫かれていること、教師と司書との連携ができることが必要であるとおっしゃっていました。教師であれ司書であれ、「これが真実だということを教えこむ教育ではなく、どうすれば真実を求めることができるのかを学ばせること、という歴史学者東山茂樹氏の指摘をひきながら、そのことが「教えられる子ども」を「学ぶ子ども」へと育てていくことにつながっていくのではないかと提言。
 学校図書館の充実は、司書の配置についてどう取り組むかにかかっていることを再認識した研究会でした。
posted by ふくろう at 20:18| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月02日

子宮頸がんワクチン被害者連絡会の記事を訂正いたしました

 昨日の標記の記事のうち、私が記憶だけで綴ってしまった、被害者の方のコメントに誤解があったとのことで、削除いたしました。
 大変申し訳ありませんでした。
 ご本人と関係者の方に大変ご迷惑をおかけしてしまったことを、心からお詫び申し上げます。
posted by ふくろう at 09:46| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月01日

理解は広がってきたけれどー子宮頸がんワクチン被害

 昨日は、「子宮頸がんワクチン被害者連絡会埼玉支部」の第2回総会がありました。
 
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 昨年の立ち上げ総会を上回る方の参加がありました。
 うれしかったのは、埼玉県や、独自の被害者支援を決めたふじみ野市をはじめ、県内の自治体の担当者の方の参加があったことです。議員の方も、国会議員の代理の方や4人の県議、そして市町議員、しかも超党派の議員の参加が30名近くにのぼりました。

 副作用被害にあったのは、中学生・高校生といった、本来であれば青春の輝かしい時期を過ごしているはずのお嬢さんたちであり、同時に、自分の未来の可能性に心躍らせているお嬢さんたちです。
 まだまだワクチンと副作用の因果関係の究明も十分ではなく、そのため治療法も確立しておらず、激しい痛みや意識障害といった病状と戦いながら、自費での診療や、効果があるとされる治療法を求めて、遠方の医療機関への受診や入院といった負担を強いられている被害者の皆さんやご家族。
 2011年に接種が始まってからすでに4年が経過しています。さまざまな立場にある人たちが力を合わせて、救済、支援がさらに進むことを願わずにはいられません。

 今日の朝刊の広告に、ある雑誌の「子宮頸がんワクチン薬害「捏造」で若き女性が殺されている」というキャッチとともに、「世界中の専門家が『有効』『安全』と認める中、日本の女性は接種を受けずに死んでいく。予防医療三流国の愚かすぎる現実」というコピーがあるのに愕然としました。
 実際に接種禍で苦しんでいる少女たちの現状を知っても、そんなことが言えるのでしょうか。ワクチンというのは、他に予防の方法がなく、予防効果の有効性が確認できて初めて使うべきもの、という概念からすると、子宮頸がん予防ワクチンというのは、予防効果についての保証もなく、また、ワクチンを接種しても子宮頸がんの予防のためには、20歳を超えたら検診を受けることが必要とされているのは、明らかになっているはずです。
 しかも、子宮頸がんワクチンの罹患者数、死亡者数を見ても、製薬会社がワクチンの予防効果があるとした20代ではいずれもごくごく少数であることは、国の統計からも明らかです。
 疑問符だらけのワクチンの無料接種に財源をさくのか、20%台という他国に比べて一段と低い検診の受診率を上げることに財源を用いるのか、どちらが大切かは明白ではないかと思うのですが。

 
 
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2015年05月24日

今こそ、戦争させない・9条壊すな!の声を

 21日の夕刻から、毎週木曜日に予定される「許すな!戦争法案 戦争させない・9条壊すな!」国会前総がかり行動がスタートしました。

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 直前まで参議院議員会館にいたので、参加。

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 国会前には、衆議院第1議員会館前から参議院議員会館前まで、三重や四重に並ぶ人の列が続き、初回にも関わらず850人もの参加があったそうです。

 戦後70年の日本のありようが大きく転換するかも知れない十数本もの「戦争法案」を国会で審議しようというのに、あまりにも緊張感のない党首討論での答弁。思わず「ちゃんとしてよ!」とつっこみたくなる思い。
 この行動で、スピーチと明快なシュプレヒコールをしてくれたミュージシャンの方が「これから議場と路上で手を取り合おう」と議員会館に向かって呼びかけたように、一人ひとりがきちんとこの問題に向き合って行動するときが来ているようです。

 次回は28日の18時半ですが、これらの法案の審議入りが予定されている26日(火)は、12時に衆議院第2議員会館前の行動が行われるようです。
 この法案に関する行動とともに、辺野古新基地建設に抗する行動も予定されていますが、どちらも情勢によって刻々変化します。予定は下記のサイトでご確認ください。

http://www.anti-war.info/



posted by ふくろう at 06:23| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月23日

当たり前に思ったことを言い、普通に平和な生活を送りたい、ということが侵されていはしないか、という危機感

 21日は、まず、「福島原発告訴団」の院内集会に参加しました。
 今回の講演の講師は、何かとマスコミで取り上げられている古賀茂明さん、ということで、いつも満席の参議院議員会館の講堂には、それ以上の人たちが集まりました。

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 講演のタイトルは「原発なしても成長できる」というものでしたが、ご本人がしばしば発言されたように、原発問題に止まらない、現在の政治状況を快刀乱麻のようにバッサバッサと切り込んでいく古賀さん。

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 終始、笑い(苦笑)に包まれた会場の中で考えたこと。
 まず一つは、正しいことを正しいと主張しているだけでは人の心は動かないこと、古賀さんのお話が聞く人を惹きつけるのは、古賀さんの持っている力、性格のようなものでしょうが、それでも自分の主張を押しつけるだけではない話しの仕方を、考えていかなければ、と痛切に思いました。

 二つ目、私自身も、来年からの電力自由化に期待していますが、果たしてそれが本当に自分が望む電力会社の選択につながるのかどうか、さまざまなハードルがあると古賀さんはおっしゃっていました。電気事業者連合会、という摩訶不思議な団体の存在、そして再生エネルギーで発電している電力会社の偏在の問題、もちろん発送電の問題も含め、きちんと研究していかなければならないと、再認識させられました。

 古賀さんは今回、「改革はするが戦争はしない」というキャッチフレーズで「フォーラム4」というグループを立ち上げたそうです。「フォーラム4」の4は、
・第T象限 改革はするが、戦争もする
・第U象限 改革はしないが、戦争はする
・第V象限 改革はしないが、戦争もしない
・第W象限 改革はするが、戦争はしない
 この第W象限の基本理念を共有する市民の集まりのプラットフォームにし、それぞれの市民がさまざまな活動を広げて行こうとするものです。「当たり前に思ったことを言い、普通に平和な生活を楽しみたい」「けれど、そういう衛克が侵されつつあるという危機感を持っている」「社会を良くするために、できる範囲で動きたい」などの思いをもっている市民が多く集まることを想定しているとのことです。
 関心のある方は是非、ホームページをご覧ください。
 http://forum4.jp/
posted by ふくろう at 20:17| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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