わらじの会の草津合宿、2日目は国立ハンセン病療養所栗生楽泉園を訪問しました。
草津温泉の中心部、湯畑から東へ役4Kmの尾根を切り拓いた、附属施設も含めると総面積が役223坪もあるという楽泉園の側面は、すべて深い渓谷に取り囲まれています。
元々はドイツ人医師ベルツ博士が草津の湯は皮膚病に薬効あり、としたことからライ患者が集まった草津で、湯治客と患者を分けるために待ち当局が患者居住地とした湯之沢は自由療養地で、人口800人余に及び、湯治をしながら働いて生計を立てていた人も多かったそうです。大正5年に日本のハンセン病患者救済のために来日していたイギリスのコンウォール・リー女子が湯之沢で尽力し、医療支援だけでなく、子どもたちの学校や幼稚園まで設けるなどの生活面の支援も行っていたことから、この時期の患者の暮らしは「自由療養所」の名にふさわしいものだったようです。
国が「患者強制隔離撲滅政策」を掲げて強制収容を進めた昭和の初頭にも、頑なに自由療養地おいて暮らし続けていた湯之沢の人々でしたが、太平洋戦争勃発前夜に全国各地で起こった「無ライ県」を目ざす動きに呼応した群馬県によって、楽泉園に強制収容されたのです。
その日は、高齢化によって、楽泉園に入居されている方々が訪問者への案内もままならなくなることから、現在進められているボランティアガイドを養成する講座の受講生の皆さんが、入居者自治会会長の藤田三四カさん(88歳)のお話を伺う機会に同席させていただきました。
藤田さん自身、兵学校のときに強制隔離され、戦争がどれだけ人々の日常生活を蹂躙するのかを、静かな語り口でしたが忘れないでほしいとおっしゃっていました。
その後は、強制隔離された方々の復権と国からの補償を、求める裁判を支援してきた「ともに歩む会」のメンバーの方が施設を案内してくださいました。
体の自由が効く方々の住居棟前には、丹精込めて育てていらっしゃるであろう花々が咲き乱れていました。
入所者の方が最も多かったのが1944年で1335人を数えたとのことです。しかし、欧米ではハンセン病はライ菌による感染症で、感染力はごく弱いと認められ、ほとんど過去の病気になっていたのが明治30年であったことを考えると、日本が医学的見地からハンセン病に罹患した人たちを救うという観点で対処することがなかったことはあまりにも残念でなりません。そしてこれが、ひたすら富国強兵を目指し、国力を揚げることが第一だった国家の姿だったのでしょう。
楽泉園の中で亡くなられた方は2002人とされています。その中には遺伝による病気との誤った認識によって中絶によって息絶えた胎児26人も含まれています。結婚のときには断種が条件とされたなど、人権などまったく踏みつけにされ、収容所に隔離されて一生を送った方々の御霊を悼みつつ、「安らかに」と祈ることしかできませんでした。
案内して下さった方が、
「もういいかい 骨になっても まぁだだよ」
という句を披露してくださいました。ここに眠るのは亡くなっても遺骨の引き取りを身内から拒否された方々なのです。
そして何よりも苛酷であったのは、「特別病室」と呼ばれた重監房に投獄された人たちでした。
栗生楽泉園にこの重監房が設置されたのは1938年。高さ4mの厚いコンクリートの壁に囲われた中には同じ高さの厳重な仕切りが8箇所設けられ、その中に木造平屋建ての独房8室が設けられていたとのことです。
1947年に廃止されたのち、国によって撤去されましたが、ハンセン病患者への人権蹂躙の象徴として復元を求める声が強く、今年の春に「重監房資料館」としてオープンしました。
ここには、楽泉園に入居していた人だけでなく、全国各地の療養所で不穏分子や素行不良とみなされた患者が送りこまれました。
囲いには屋根はなく、粗末な木造の建物の4畳半ほどの部屋には縦13cm、横70cmの明かり取り窓が1つ、床と壁の間にはあきっぱなしの小さな食餌差し入れ口があり、冬にはそこから雪や冷気が容赦なく吹き込んだとのこと。
食餌は1日2食で、朝は麦の方が多い麦飯と梅干し1個と味噌汁、午後の2食目は麦飯と沢庵3切れと水1杯のみだったそうです。
重監房のあった9年間で収容された89人のうち、獄死した方が14人、病が重くなり1年以内に亡くなった方が8人とのことです。
何よりも悔しいことは、1947年、基本的人権が高らかに謳われた日本国憲法が制定され、そのころから日本でもハンセン病の特効薬を用いた治療が行われるようになり、治る病気という認識が高まったにも関わらず、多くの人たちが社会的に隔離され、人権すら認められない暮らしを強いられたもととなったらい予防法が廃止されたのが、1996年だったということです。
ライ病に対する認識が誤りであったことが分かってから50年、もっと早く対策がとられていたら肉親の方々が存命で、少しでも長く故郷で晩年を過ごすことができたのに、と思わずにはいられません。
まだまだ伝えきれない楽泉園やハンセン病療養所のことについては、どうか一度訪問されるか、あるいは楽泉園の入居者の方々のまとめた手記などをお読みいただきたいと思います。



